銅像建立

※この銅像の画像はイメージです。

安倍晋三元総理銅像の仕様(予定)

・安倍神像神社の境内に建立
・安倍晋三元総理の全身像
・高さ:約275cm[銅像:175cm・土台 100cm]
・素材:銅合金

完成予定日 令和7年7月8日

佐藤素心(一彦)宮司よりメッセージ

※クラウドファンディングはまだスタートしておりません。
スタート次第、お知らせいたします。

安倍神像神社の縁起と銅像建立の趣意と現状

初夏の白雲を仰げば、あの悪夢も流れ去った時の一瞬であったのか、安倍晋三元総理が令和四年七月八日、奈良県西大寺駅前で選挙応援中に凶弾に仆れられた。この事件に慟哭を禁じ得ない、吉野山吉水院前宮司が安倍氏を古事記等に伝わる十七神と一処にまつる社を歴史深き吉野山勝手神社の境外摂社として、長野県下伊那郡東條の素心塾の丘に開祠された。日の本の民族的な集合無意識には、古来偉大なる人物を神として尊崇する伝統がある。

佐藤素心宮司は元大阪府警察勤務で、当時安保問題で全学連等の学生運動が盛んな頃で、犯罪史上で記憶に残る、三菱銀行人質事件でも機動隊員として活躍された。その後宮司を拝命され吉水院(後醍醐天皇御在所・源義経・秀吉の吉野花見・世界文化遺産)に奉職された。吉水院は今日では神社であるが、明治の神仏分離令までは、吉野の筆頭寺院であり、我国の長い歴史を刻す面影を今に伝えている(重要文化財)

師は退任を機に、かねて計画されていた日本を開く有能なる若者の育成に心され、長野県に「素心塾」を開設された。眼下に天竜川、北方に山嶺を遠望する丘の上に地元有徳の方々の協力を得て、敬慕する安倍晋三元総理の安倍神像神社を独力で建立し、令和五年の一周忌の留魂忌を挙行されて、来賓・地元協力者の正式参拝がなされた。この日は西村眞悟氏、石平氏の参列があり、終了後塾にて講話があり、列席者にとっては、得難き望外の機会だった。

往年より現今に至る国を愛する国民の念願である憲法問題解決が進捗しない状況にあって、我国の安全性高め、諸外国との連携、取り分け米国のトランプ大統領と親密な関係を結ばれ、我国の方向性を示された。我国で長き総理を務められたが、志半ばで非業の事件で亡くなった。宮司は同じ山口県出身、師の出版された国家観・歴史観に根ざす愛国のご本には、安倍首相の前書きがある。

崇敬会が発足して、安倍氏の等身立像建立を目標とし、資金の活動を始めたが、思うようには進展せず、折しも自民党のパーティ券のキックバック問題が取り上げられ、連日マスコミなどで”安倍派安倍派”と記事にして、同派の著名な政治家を追求した。安倍氏像の件も時期悪く、活動を停滞せざるを得なかったが、今般二回目の留魂忌を開催するに及んで、クラウドファンディングの方策で我国のみならず、他の国々にも案内して協力を乞い、素心師の素心を成就したいと役員一同念願している。

台湾では、早くも高雄に像が完成し、昭恵夫人が参列された、と新聞記事で報じられた。我国の隣には好ましからざる国への対応と将来の子孫の安寧を念じ、歴史を鏡として、安倍晋三大人命を尊崇し、国を思う愛国の士が集いて、この事業計画を完遂し、いと高き所より我国を見守っていただきたいと冀う次第である。

追記

現状の私見

素心氏いわく、「何故、安倍氏の像が台湾にあり、我国にないのか。それが残念でならない。」

師の心中を察するに、我国の政治家で最も信頼・尊敬する方に対する哀惜の情が深く、事件後憤懣やる方のないとのことであった。

私は今日、十数年前を思えば、大峯山登拝の途上吉野より入山、師のご交誼、ご教示を得て、今日に至り、素心師のお役に立ちたいと思う。その折、同行した娘婿君もこの計画に賛同して、実務を担当する事になった。

崇敬会一同 心を一つにして、その目的に邁進し、令和七年七月八日の留魂忌には、元総理の雄姿の像を拝し、日本国民の一人として、この事業を推進、賛助の方々と共に明日の日本に光明を開きたいと思う。

安倍神像神社崇敬会副会長・大峯山先達
平田蘭酔(令和六年六月八日)