桜吹雪舞う吉野山――
まるで夢を見ているかのような美しさに、心が奪われる。
桜は、散り際こそが見事で潔い。
まさに、今日の一言にふさわしい。
「男は度胸、女は愛嬌、桜は散り際」
古来より日本では、こう語られてきた。
「男は度胸」とは、すなわち行動力、決断力、胆識を持っているか否か。
それが、男としての真価を問われるところだった。
そして「女は愛嬌」とは、やさしい笑顔と、思いやりの心。
これを持っているかどうかが、女の魅力とされていた。
さらに、山桜は「散り際こそが美しい」と言われる。
谷から吹き上げる風に乗り、花びらは空へと舞い上がり、ひらひらと舞い散る。
その潔さに、日本人は涙を流し、心打たれてきたのだ。
もちろん、男にだって優しさは大切だ。
だが、本来、男は強くなければならない。
守るべき女性や家族を守れぬようでは、その資格はない。
そういう男は、三行半(みくだりはん)を突きつけられても仕方がない。
女は、本来、ただ一人の愛する人にすべてを捧げ、尽くすもの。
その操(みさお)は、尊く、美しい。
吉野山の桜は、全国から人々の祈りを込めて植えられたものだ。
山桜は、上から見下ろすものではない。
下から見上げ、手を合わせるものだ。
散りゆく花吹雪に、自らの人生を重ね、
舞い落ちた花びらはやがて土に還り、また新たな命を育む。
花は、散り際こそが、もっとも美しい。
人間も、きっとそうなのだろう。
人もまた、散り際こそ、美しくありたいものです。