安倍神像神社・素心宮司、83歳の挑戦
令和7年4月23日(水)――冷たい雨と風が吹きすさぶ、寒さの厳しい朝。
私は今朝も午前2時30分に起床し、午前4時には山へ向けて歩き出しました。
午前6時、山頂に到着。午前9時には帰宅。
この一日の行動が、すでに私の日課となっています。
今日で、私の『二千日回峰早朝修行』は791日目を迎えました。
残りは1,209日。今年の目標は、まず千日回峰早朝修行の達成。
そのためには、あと209日。一歩ずつ、一日ずつ、歩みを重ねるのみです。
この修行には「戒律」も「教祖」も「教典」も存在しません。
服装の制約もなければ、完遂しても誰から表彰されるわけでもなく、
立派な修了証書が授与されることもありません。
ただ――
そこにあるのは自分との対話であり、己を鍛えるための道であり、
そして何よりも、己の人生を美しく整えるための修行です。
私の修行の根底には、江戸期の思想家・佐藤一斎先生の言葉があります。
「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを粛す」
つまり「他人にはやさしく、自分には厳しく」。
この言葉を体現することが、私の目指す人間像です。
山道を登る途中、私はすれ違う車や見知らぬ人に、そっと挨拶をします。
誰に見せるでもなく、誰に評価されるでもなく、ただ黙々と、愚直に歩き続けるのです。
山に伏し、山頂を目指し、雨の日も風の日も関係なく、自分の甘えをそぎ落とす――
それが私にとっての「修行」であり、「生きる」ということなのです。
笑われることもあります。
「そんなことをして何になるのか」と言われることもあります。
けれど、私には確信があります。
神様は、ちゃんと見ておられる。
黙っていても、誰に報告しなくても、
心を尽くして生きていれば、いつかきっと「神様」がほほえんでくれる。
そう信じて、今日も山へ向かうのです。
たとえひとりであっても、続ける。
誰も見ていなくても、続ける。
それが、「継続こそ力」という言葉の真の意味だと、私は思います。
人生とは、自分を磨く旅路。
そして修行とは、自分を知るための静かな戦い。
まだまだ道半ばではありますが、私は今日もまた一歩を踏み出します。
この修行が終わるその日まで、愚直に、静かに、歩みを続けてまいります。