「占領憲法」を脱ぎ捨てよ

いま、日本には「占領憲法」に体当たりしてまで真剣に立ち向かおうとする若者はいるのだろうか。戦後80年近くが経とうとしているが、私たちはいまだに「敗戦のどさくさ」に紛れて押しつけられた“違法な憲法”の中で生きている。あの憲法は、日本を骨抜きにし、戦後処理を進めるためにGHQが策定した「日本弱体化政策」の道具にほかならなかった。
つまり、いま私たちが「憲法」として奉っている文書は、もともと主権を失った状態で外国から与えられたものだ。これは厳密に言えば「改正」ではなく、「返還」を求めるべき話である。主権者たる国民が、自らの意志でつくった憲法ではないのだから。
「憲法を改正すべきだ」という声は、自民党を中心に長年語られてきた。しかし、本当に自民党は憲法改正を本気でやるつもりがあるのだろうか。私は疑っている。
なぜなら、もし本気で「占領憲法」を乗り越えたいと考えているのであれば、公明党と連立を組んでいること自体が矛盾している。自民党と公明党は、その基本理念があまりにも異なる。「水と油」は交わらない。どんなに真剣に前へ進もうとしても、公明党がスカートの裾を踏みつけ、前進を妨げているようにしか見えないのだ。
「自民党はわかっていながら、それを演じているのではないか?」そう思わずにはいられない。口では「改憲だ」と叫びつつも、実際には国民をなだめ、期待を抱かせ、適度に裏切り、ただ時間を引き延ばしているように見える。それはかつて中曽根元首相が「憲法改正」を旗印に掲げながら、結局何もできなかった姿と重なる。国民はいつまで、こうした「リップサービス」に騙され続けるのだろうか。
現行憲法―すなわち「日本国憲法」は、平和という美名のもとで日本人の精神を麻痺させた。自国を守る覚悟を奪い、国家としての気概を失わせた。それは、まるでチョコレートに混ぜられた泥のように、甘いが不純で、毒を含んでいた。その毒を私たちは文句も言わずに飲み込まされ、やがて「これが正しい」と錯覚してしまったのではないか。
だが、もう戦後ではない。私たちは戦後という「寒い冬の服」を脱ぎ捨て、日本人としての気風に合った装いを取り戻すべきだ。改憲手続きは確かに厳しい。国会での発議、国民投票と、超えなければならない壁は高い。だがそれ以前に、私たちは問い直さねばならない。
そもそも「改正」などという穏当な方法論が本当に必要なのか。むしろ、「この憲法は我々のものではない」「返せ、日本の憲法を!」と叫ぶべきではないのか。自国の未来を、自らの手で描こうとする気概を、なぜ私たちは忘れてしまったのか。
自主憲法とは、単なる紙の話ではない。それは、日本人の精神と誇りの証明であり、自立の象徴である。私たちが主権国家として歩み直すために、避けて通れない試金石なのだ。
若者よ、今こそ立ち上がれ。過去の過ちを直視し、真の意味で「日本を取り戻す」覚悟があるならば、この占領憲法の呪縛を断ち切る声をあげてほしい。戦後80年の眠りから目覚め、もう一度、私たち自身の手で国の形を築いていこうではないか。