「葉隠に生きる」―困難を歓喜に変える力
日本人は、いざ乱世の時代に直面すれば、必ずや傑出した人物を生み出してきた。
それは歴史が証明している。
困難な時代こそ、人物を育てる。
そして困難に直面したときこそ、大いに喜び、前へ進むべきであると、私は信じている。
人は誰しも、学校においても、職場においても、そして人生そのものにおいても、大小さまざまな困難に出会う。
苦しみも悲しみも、避けることはできない。
しかし、問題はそこではない。
大切なのは、困難に遭遇したとき、どう対処するか。
どう思い返し、どう乗り越えていくかによって、その人間の「人物としての高さ」が測られるのだ。
困難に出会うたびに、ただ苦悩し、うろたえるだけでは、真の成長はない。
「免疫力」という言葉があるが、人生にも同じことが言える。
苦しみに耐え、打ち勝つ力を身につけてこそ、真の人間力が養われるのだ。
すべてにおいて一喜一憂し、目先のことに振り回されていてはならない。
結局、人生とは「なるようになる」ものだ。
過去に囚われて恨みがましく生きる必要はない。
未来に怯えて思い悩む必要もない。
まだ起きていないことを心配しても仕方がないからだ。
だからこそ、「今」を明るく、楽しく、前向きに生きることが何よりも大切である。
目の前にある一瞬一瞬を、感謝と希望を持って歩むこと。
それこそが、充実した人生をつくりあげる唯一の道だろう。
『葉隠聞書』には、次のような教えが記されている。
大難大変に逢うても動転せぬといふはまだしきりなり。
大変に逢うては歓喜踊躍して勇み進むべきなり。一関越えたる所なり。
「水増されば船高し」というが如し。
現代語に訳すならば、こうである。
大きな困難に直面しても、ただ気を乱さずにいられるだけでは、まだまだ未熟者である。
真に成長した人物は、困難な出来事に遭遇したとき、むしろ心から喜び、歓喜して、勇んで前へ進んでいく。
それは、一つの精神的な「関」を越え、吹っ切れた境地に達した証である。
水かさが増すにつれて舟が自然に高く浮かび上がるように、人間もまた、困難を経験するたびに、その精神が高まり、成長していくものである―と。
この教えは、まさに現代に生きる私たちにも通じる普遍の真理である。
苦しみを嘆くのではなく、苦しみの中に成長の種を見いだす。
困難を恨むのではなく、困難こそが自らを高める糧であると信じて、笑顔で乗り越える。
そのような生き方ができたとき、私たちは初めて「葉隠に生きる」者となれるのだろう。
人生の荒波を越え、心を磨き、人物としての高さを目指す。
その覚悟を、今、胸に刻みたい。
