安倍晋三元総理のラストメッセージに涙する

安倍晋三総理の魂は、いま安倍神像神社に鎮まり、静かに安らかに眠られています。
私たちはその存在に心から感謝し、深く尊敬の念を抱いています。

素心宮司もまた、何事にも決してあきらめず、「継続こそ力」と信じて歩んでいます。
この動画を拝見するたびに(本ページ最下部)、こみ上げる涙を抑えきれず、胸が熱くなります。

安倍晋三総理のような政治家は、もう現れないかもしれません。
まさに「これぞリーダー」と呼ぶにふさわしい、真の指導者でした。

安倍晋三元総理のラストメッセージ

ご承知のとおり、私は第一次安倍政権を、わずか一年で辞任いたしました。難病である潰瘍性大腸炎に苦しみながらの政権運営は困難を極め、選挙での敗北、政権の行き詰まり、そして内閣改造を断行してもなお回復せず、ついには辞任を余儀なくされました。

当時、「責任を投げ出した」と日本中から厳しい批判を浴びました。すべて私の責任であり、政治家としての自信も大きく損なわれました。多くの人が「安倍晋三は終わった」と思ったことでしょう。

しかしその後、新たな治療薬により病状は回復し、体調も戻りました。ただ、政治家として再び先頭に立ち、リーダーシップを発揮する自信は、すぐには戻りませんでした。

そんなとき、私は震災に立ち向かう被災者の皆さんの姿に出会いました。困難の中、前を向き、復興に向けて力強く歩むその姿に、私は深く心を打たれました。そして思ったのです。復興を実現し、日本に再び強い経済を取り戻すことこそ、自分の使命であると。

そう決意し、私は自民党総裁選挙に挑みました。何とか勝利を収め、政権を奪還することができました。

多くの方々が「総理への再登板など不可能だ」と言いました。しかしそれが可能になったのは、私が特別な人間だったからではありません。ただ一つ、私は“あきらめなかった”のです。そして、私が諦めなかったのは、被災者の方々から勇気をもらったからです。

挑戦すること、できると信じること―それがいかに大切かを、私は身をもって知りました。

第二次安倍政権も、当初は厳しい批判を浴びました。しかし、仲間たちと力を合わせ、政権運営を続けていく中で、気がつけば憲政史上最長の内閣となりました。

それは決して私一人の力ではありません。私よりも優れた仲間たちが、志を同じくし、共に歩んでくれたからです。そして、その多くの仲間もまた、かつて失敗や悔しさを経験してきた人たちでした。その経験があったからこそ、私たちはより強くなれたのだと思います。

皆さん。人生には失敗がつきものです。何度もつまずき、何度も悔しい思いをするかもしれません。しかし大切なのは、そこから立ち上がることです。失敗から学ぶことで、人はもっと強く、そして優しくなれます。

私は、若い世代の皆さんと話す中で、世の中のために、地域や日本、世界のために何か役に立ちたいと考える人が、想像以上に多いことに驚かされ、そして大きな希望を感じています。

どうか皆さん、恐れずにチャレンジしてください。たとえ失敗しても、何度でも立ち上がってください。そして、皆さんのあふれる若い力で、この日本と世界を、より良いものにしていってください。

ご静聴、ありがとうございました。

※令和4年7月に近畿大学にて行われた安倍元総理の公演を再構成し文章化しました。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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