三つの志、ひとつの日本

近年の日本政治において「保守」という言葉は、ただの看板にすぎなくなってはいないだろうか。保守を名乗りながらも、その実態は信念を失い、変化を恐れて身動きの取れない政治勢力が、既得権と忖度にまみれた閉塞の中で足踏みしているように見える。

しかし、夜が深まるほど夜明けは近い。

いま静かに、だが確実に、国を憂う者たちの志が結集しつつある。それが「日本保守党」「参政党」「誠真会」の三党である。それぞれ立ち上がった経緯も背景も異なるが、共通しているのは、「このままでは日本が沈む」という強い危機感。そして、保守とはただ古きを守るのではなく、「美しい国柄」を次代へとつなぐ責任だという信念である。

「日本保守党」は、理念なき与党政治に対する明確なアンチテーゼとして登場した。売国に等しい譲歩や、国民の生命財産を守るという基本の責務すら果たせない政府に対し、正面から「ノー」を突きつける勇気がある。
「参政党」は、これまで政治に関心を持たなかった層に希望の火を灯した。教育・医療・食の安全といった生活に根差した政策を通して、草の根から日本を立て直そうという市民政党である。
そして「日本誠真会」。その名の通り、誠と真を貫く覚悟をもつ者たちが集い、派閥や利権に毒されぬ新しい政治の胎動を始めている。

この三つの潮流が、やがて連帯し、日本の中枢を担う政権与党として歩む日が来ることを、私は心から願ってやまない。

一方、いまの自民党には、もはやかつての輝きはない。とくに石破茂氏を頂点に据えるような政権構想は、まさに“保守の仮面を被った革新”であり、多くの党員や支持者を幻滅させている。誇り高い保守の理念を信じてきた者ほど、その裏切りに対する怒りは深く、いまや多くの良識ある自民党員が、静かにその党を離れつつある。

それは、逃避ではない。新たな希望を見出すための「再出発」だ。旧きにとらわれることなく、志ある者たちが手を取り合い、日本再生の旗を掲げる──それこそが、真に保守と呼ぶにふさわしい道ではないか。

もはや時間は限られている。日本を本気で守り、未来の世代に誇れる国を残したいと願うなら、私たちは声を上げなければならない。
そして願わくば、「日本保守党」「参政党」「日本誠真会」という三つの志が一つに結ばれ、やがてこの国の政権を担う旗頭として立つ日が来ることを、祈りつつ、信じて進みたい。


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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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