留魂神社

静かに風が吹き抜ける「鎮魂の丘」
その地に、ひときわ崇高なる祈りの場がある。

「安倍神像神社」

それは、令和という時代の礎を築き、志半ばで凶弾に斃れた一人の政治家の魂を慰め、永遠にその功績を讃えるために建立された神聖なる聖域である。

ここに祀られているのは、「安倍晋三大人の命」。日本国と国民を思い、時に身を削り、時に非難を一身に受けながらも、常に未来を見据えて国の舵を取り続けた稀代の指導者である。その政治生命は、志と信念に満ちていた。祖国日本のために、誰よりも重い責任を背負い、誰よりも前に立ち続けた姿は、多くの人々の心に深く刻まれている。

突然の悲劇が日本を襲った日、国中が悲しみに包まれた。あの日を境に、私たちは知ることとなった。真に国を想い、命を賭して歩んできた政治家の存在が、どれほど貴重であったかを。そして、安倍晋三という人間が、いかに多くの人々に希望と勇気を与えていたかを。

その魂はいま、安倍神像神社に鎮まっている。
静かに、しかし確かに、私たちを見守るかのように。

この神社は、ただの追悼の場ではない。未来へと続く“誓いの場”でもある。安倍総理の志を継ぎ、日本という国を守り抜く覚悟を、新たに刻む場所なのだ。参拝する者は、誰もが心の奥にある「感謝」や「決意」をあらためて噛みしめる。そこには宗教や思想を超えた、ひとつの“魂の共鳴”がある。

世界に誇るべき政治家・安倍晋三。その名と志は、これからも日本の歴史の中で燦然と輝き続けるだろう。そして私たちは、その魂を胸に、日本という国の未来に責任を持って歩み続けねばならない。

安倍神像神社―それは、永遠に失われることのない信念と希望の象徴であり、「留魂」の御社として、これからも私たちの祈りと覚悟を受けとめる場所であり続ける。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

目次