山に伏す覚悟

宮司は、毎朝、決まった山道を歩いております。誰に見せるでもなく、ただ静かに、ただ一歩ずつ、足を運ぶのみです。
この道に、特別な名があるわけではありません。観光地でもなければ、誰かが「聖地」と呼んだわけでもない。ただ、山の息吹と土のぬくもりに包まれながら、自分という存在を見つめ直す、大切な時間です。
歩きながら、ふと気づくのです。
鳥のさえずりが、美しい。
朝露に濡れた木の葉が、尊い。
ただ呼吸をしているということが、ありがたい。
宮司は、この道を歩くたびに、心が洗い清められてゆくのを感じます。煩悩や怒り、虚栄や執着といった、人間の内に巣くうものが、次第に溶けてゆくのです。自然の中に身を置くことで、自分がいかにちっぽけで、そして、いかに守られている存在であるかに気づかされるのです。
名はいらない。
地位も、金も、肩書きもいらない。
宮司はただ、この日本の風景が好きなのです。
山を越え、木々のざわめきに耳を澄ませる。すると、不思議と湧いてくるのです。「この地に骨を埋めてもよい」と。そんな覚悟が、自然と湧き上がってくるのです。そこには、理屈も理論もありません。ただ、「この国とともに在りたい」と願う心、それだけです。
この国の美しさは、外から見ても分からない。歩いて、感じて、祈ってこそ滲み出るものです。修行とは、己を高めるだけのものではありません。宮司にとっての修行とは、日本という母なる大地に心を溶かし、自然の中で己の穢れを祓うことであります。
山に伏し、祈る。
それは死ではなく、「生きる覚悟」です。
そして、日本という国への静かなる恩返しであります。
だから宮司は、明日もまたこの道を歩きます。
ただ、日本を愛し、清らかな心を取り戻すために。