山に伏す覚悟

宮司は、毎朝、決まった山道を歩いております。誰に見せるでもなく、ただ静かに、ただ一歩ずつ、足を運ぶのみです。

この道に、特別な名があるわけではありません。観光地でもなければ、誰かが「聖地」と呼んだわけでもない。ただ、山の息吹と土のぬくもりに包まれながら、自分という存在を見つめ直す、大切な時間です。

歩きながら、ふと気づくのです。
鳥のさえずりが、美しい。
朝露に濡れた木の葉が、尊い。
ただ呼吸をしているということが、ありがたい。

宮司は、この道を歩くたびに、心が洗い清められてゆくのを感じます。煩悩や怒り、虚栄や執着といった、人間の内に巣くうものが、次第に溶けてゆくのです。自然の中に身を置くことで、自分がいかにちっぽけで、そして、いかに守られている存在であるかに気づかされるのです。

名はいらない。
地位も、金も、肩書きもいらない。
宮司はただ、この日本の風景が好きなのです。

山を越え、木々のざわめきに耳を澄ませる。すると、不思議と湧いてくるのです。「この地に骨を埋めてもよい」と。そんな覚悟が、自然と湧き上がってくるのです。そこには、理屈も理論もありません。ただ、「この国とともに在りたい」と願う心、それだけです。

この国の美しさは、外から見ても分からない。歩いて、感じて、祈ってこそ滲み出るものです。修行とは、己を高めるだけのものではありません。宮司にとっての修行とは、日本という母なる大地に心を溶かし、自然の中で己の穢れを祓うことであります。

山に伏し、祈る。
それは死ではなく、「生きる覚悟」です。
そして、日本という国への静かなる恩返しであります。

だから宮司は、明日もまたこの道を歩きます。
ただ、日本を愛し、清らかな心を取り戻すために。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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