誠の言霊に涙して

日本誠真会の街頭演説を動画で拝見した。場所は大阪・難波、日付は令和七年五月六日。
宮司、この場に足を運んだわけではない。だが、画面越しに聞こえてくる言葉の一つ一つが、まるで神前にて奏上される祝詞のように、心の奥底へと沁み入ってきたのである。
演説に立たれていたのは、日本誠真会の吉野敏明氏。かつて医師として、また教育者として人の命と真心に向き合ってこられたというその経歴の通り、語られる言葉には、机上の理論でも、党利党略の詭弁でもない、「現場を知る者の真実」が込められていた。
日本は病んでいる…そう断じる声には、批判でも煽動でもなく、深い慈しみがあった。医療、教育、農業、エネルギー、家族、そして日本人としての誇り。どの分野も、もう一度立て直さねばならぬ。そう語る吉野氏の声には、どこまでも誠実で、一点の曇りもなかった。
とりわけ胸を打たれたのは、「国民を守るのは政治の責任」という言葉であった。
当たり前のようでいて、それを真正面から語る政治家が、果たしてこの国にどれほどいただろうか。
吉野氏は、票のために媚びることなく、忖度なく、時には感情を抑えきれず涙を流す場面もあった。それでも真っ直ぐに語り続けた。
その姿に、宮司は思わず手を合わせたくなったほどである。
政治とは、いかなるものか。
過去の偉人たちは、「公」を貫き、「信」を重んじ、「義」に生きた。
だが、戦後日本において、それらの言葉は次第に色褪せ、「自己保身」と「事なかれ主義」がまかり通るようになった。
そうした中にあって、この吉野敏明という人物は、まさに「誠」をもって立つ、現代の志士であろう。
演説は派手な演出もなく、実直そのもの。だが、だからこそ響いた。
特定の支持層におもねるでもなく、理屈をこね回すでもなく、ただ国を想い、人を想い、祈るように語るその姿。
まさにそれは、宮司がかつて祖父から教わった「真の言霊の力」そのものであった。
街頭演説の終盤、「日本の再建に命を懸ける」と力強く語られた場面では、画面越しにも関わらず、胸が熱くなり、思わず涙が滲んだ。
これまでのどの政治家にも感じなかった清らかな覚悟を、吉野氏の言葉に宿る「気」に、確かに見た。
日本誠真会…この若き政党が、果たしてどこまで力を伸ばすかは、神のみぞ知る。
だが、この動画を通じて、確かに宮司は「希望」という名の芽吹きを感じ取ったのである。
この国には、まだ「正しき心」が残っていた。
この国には、まだ「誠の言葉」が響いていた。
この国には、まだ「未来を託したい人間」がいた。
神域に立つ者として、宮司、ここに記しておきたい。
吉野敏明という政治家が、総理大臣の座に名乗りを上げる日が来るならば、
それはこの国が再び誇りを取り戻す始まりの日となるであろう、と。