惜しみても、惜しみきれぬ人

安倍晋三という太陽の記憶。
この国には、太陽のような人物がいた。
いつも明るく、力強く、そして誰よりも人間味にあふれていた。
宮司はその人を思うたび、胸が温かくなると同時に、張り裂けそうな寂しさに襲われる。
安倍晋三。
この可愛いやんちゃ坊やのような男が、宮司は大好きであった。
政界という冷たい修羅場にあって、彼の笑顔はどこか少年のような無邪気さを帯びていた。
だが、その内側に宿していた「不屈の精神」は、紛れもなく日本の背骨そのものであった。
幾度となく攻撃され、倒されかけても、安倍総理は何度でも立ち上がった。
己の信じた道を信じ抜き、世界の舞台で堂々と語り、
この国の尊厳を、誇りを、確かな足取りで守り続けていた。
彼の政治は単なる政略ではなかった。
それは信念に貫かれた“生きざま”だった。
政治家としての器量もさることながら、
人間としてのあたたかさ、情の深さ、気さくさ、そして礼節を忘れない心。
そのすべてに、誠実さと品格が宿っていた。
何よりも心を打たれたのは、彼が本気で世界を愛していたことだ。
日本という祖国を心の底から愛し、アジアに目を配り、自由の価値を信じ、
この地球の未来に責任を持とうとする眼差しを、常に忘れなかった。
視座は高くとも、心は庶民と共にあり、苦しみを分かち合おうとする姿に偽りはなかった。
政治家には多くの顔があるが、安倍晋三には顔ではなく“魂”があった。
そこにあるのは打算ではなく、国家と国民への愛。
宮司には今も信じがたいことである。
なぜ、これほどまでに大切な人が、この国から、世界から、突然奪われねばならなかったのか。
悔やんでも悔やんでも悔やみきれない。
その死が、あまりにも突然で、無念で、そして深い悲しみに包まれていた。
その喪失の重さを、わたしたちは日に日に思い知らされている。
政局は混迷し、国家の軸は揺らぎ、真の保守は声を失いかけている。
あの安倍晋三が生きていてくれたならばと、そう思わない日は一日としてない。
だが、安倍晋三という人物は、たしかにこの国の血脈の中に今も息づいている。
彼が命をかけて守ろうとしたもの、それは日本人としての「気概」である。
家族を大切にし、ご先祖を敬い、歴史に誇りを抱き、未来に責任をもつという姿勢。
それは神職として、宮司が神前に日々捧げる祈りと深く通じ合っている。
この国が、彼の遺志を正しく継ぎ、
彼の生きざまを胸に刻みながら、
もう一度日本の誇りを取り戻す日が来ることを、宮司は切に願っている。
安倍晋三。
その名は、この国の歴史に深く刻まれ、
未来を担う若者たちの灯火となることだろう。
彼の誠を、覚悟を、そして愛すべき無邪気な笑顔を、
これからも語り継ぎ、伝えてゆかねばならない。
彼は、たしかに太陽だった。
その光は今も、空のどこかでわたしたちを照らし続けている。