世界を動かす者たちに送った手紙と、宮司の祈り

宮司は、ドナルド・ジョン・トランプ前アメリカ合衆国大統領とイーロン・リーヴ・マスク氏に手紙を送った。これは、世界の未来に強い関心と責任を感じる者としての、誠意ある行動だった。国を超えた思想の交流を求めたというよりも、志を同じくするかもしれない人物に対して、自らの信念を届けたかったのである。
二人の意志、あるいはその思想に触れたとき、宮司ははっきりと理解した。彼らは単に国家の利益だけを追求しているのではない。むしろ、中国による覇権的な拡張を抑えるために、経済という手段を用いながら、自由と人権を守る世界秩序を築こうとしていた。その根底にあるのは、世界平和への確かな意志である。
その考え方は、ロシアのプーチン大統領や中国の習近平主席、北朝鮮の金正恩総書記が支配を目指す「殺し合いの論理」とは決定的に異なる。武力で従わせるのではなく、経済の力で秩序を作り、対話によって緊張を緩和させる。その姿勢は、理想ではなく、現実に根差した希望の形であると、宮司は受け止めている。
この視点に触れたとき、宮司の胸に浮かんだのは、安倍晋三元総理の掲げていた「和」の理念だった。安倍総理が目指した「世界は家族」という想いは、国家間の関係を対立ではなく連携と見なす視座を提示していた。その発想は、まさに聖徳太子の「和を以て貴しと為す」精神に通じるものである。
宮司は確信している。現代の世界を混迷から救う鍵は、軍事力ではなく経済力にある。互いを富ませる仕組みを整え、傲慢さには制御の原理を働かせる。課税や投資、供給と分配という枠組みのなかで、新しい秩序を築く。それは単なる経済政策ではなく、国家倫理の実践であり、文明の成熟の証でもある。
歴史を振り返れば、日本にはこのような思想を受け止める土壌が確かに存在している。聖徳太子が目指したのは、権力の誇示ではなく、多様な立場を認め合いながら一つの国を築くことだった。後醍醐天皇が訴えたのは、単なる王政復古ではなく、正義と道義に基づく政治の再構築である。そうした思想の流れは、陽明学によってさらに深められた。
宮司が陽明学に学ぶのは、単なる知識や修養のためではない。「知行合一」と「致良知」、この二つの実践的精神にこそ、人間として、また国民として、どのように生きるべきかの指針がある。善いと知ったならば、行わなければならない。行動を伴わない思想は、結局のところ空虚である。
いま必要なのは、核を持って脅し合う世界ではない。武器を手放し、話し合い、貧困や抑圧に苦しむ国々を支え合うことが、持続可能な平和への道である。この道は平坦ではないが、確かに前へと進んでいる。宮司はそう信じている。
安岡正篤師父は『経世瑣言』のなかで、世界を治める人物とはいかなる者かを論じた。それは武力による支配者ではなく、経済的力と道義的責任によって秩序を築く人物である。貧者を救い、強者を律し、争いの根を断つ覚悟を持った者。そのような人物こそが、真に世界を導く。
宮司は、そうした志を抱いて歩むことこそが、自らの使命であると感じている。神職として祈るだけではない。思想を学び、行動に移し、言葉と誠意をもって人と世界を結ぶ。それが和の国・日本に生まれた者としての責任であり、誇りである。