世界が憧れる日本の寶 君と民が一体となる国、日本

宮司は、日本という国に脈々と受け継がれてきた精神と伝統こそ、世界が真に憧れる「寶」であると確信している。この國には、経済力や軍事力とはまったく異なる次元で、人々の心を打つ静かな誇りと美徳が宿っている。

まず第一に、日本の根幹を成すのは、天皇陛下・皇后陛下、そして御皇室のご存在である。天皇は、国家のために力を振るうのではなく、祈りを捧げるという形で国と民の安寧を支えておられる。御皇室の在り方は、権力と無縁でありながら、最も尊く、世界に例を見ない独自の尊厳を持つ。この存在を戴くことが、日本人としての誇りである。

次に、三種の神器は単なる神話の道具ではなく、国の精神的基盤を示す象徴である。八咫鏡は真実を映す心、天叢雲剣は正義と武の気概、八尺瓊勾玉は和を重んじる魂を意味している。これらは古代から連綿と受け継がれ、今も天皇の御位と共にある。

日の丸の國旗は、限りなく清らかで、かつ力強い意匠である。白地は誠を、紅の円は太陽を象徴する。日本が太陽の国と呼ばれる由縁であり、世界中の国旗のなかでも、最も神聖な構図を備えている。

國歌「君が代」は、短く静かな旋律に、深遠な願いが込められている。国家の永続を願い、民の平穏を祈る。その歌詞には、支配や征服の思想は微塵もない。むしろ、自然と人と国の営みが、永く穏やかに続くことを願う、まことに日本らしい祈りの歌である。

教育勅語に記された徳目は、今日においても人としての在り方の根幹を示す。父母に孝を尽くし、兄弟姉妹と睦まじく、朋友と信を守り、己を修めて社会に貢献するという教えは、神道の精神とも合致し、今こそ再び光を当てるべき内容であると宮司は考えている。

古事記と日本書紀は、単なる古代の記録にとどまらない。日本の成り立ちを示す神々の物語は、我々の精神の故郷であり、自らの存在の根拠を知るための鏡である。そこに記された天地の生成、神々の働き、人の世の始まりは、現代の我々にも生きる指針を与えてくれる。

國體とは、天皇を中心とした日本人の生き方そのものである。家族、地域、自然との共生、そして道徳を重んじる社会の形。法や制度を超えて、長い年月をかけて築かれてきた日本独自の秩序と価値観である。宮司は、この國體を守ることこそが日本再生の鍵だと信じている。

靖国神社に祀られた英霊の御霊は、国を思い、家族を思い、己の命を賭してこの国を護った方々である。その崇高な行いに感謝と敬意を捧げることは、我々にとって当然の務めである。宮司は日々、その御霊に祈りを捧げ、誇りを胸に刻んでいる。

伊勢神宮、出雲大社をはじめ、全国各地に鎮まる神社に祀られる八百万の神々。山や川、風や火、日々の食にさえ神を感じるこの国の信仰は、単なる宗教ではなく、生き方そのものである。神と共にあるという日本人の精神は、世界に比類なき文化であると宮司は確信している。

葉隠に代表される武士道の精神は、大和魂の核である。正義のために己を律し、義を貫く覚悟。騒がず、騒がせず、内に力を秘め、節度をもって行動する。この精神があったからこそ、日本は幾度の危機を乗り越えてきた。宮司は、この精神をいま一度、国民一人ひとりの中に呼び戻すべき時代に入ったと感じている。

以上すべてが、日本の誇りである。そしてそれらは、単なる過去の栄光ではなく、現代に生きる我々が大切に守り、次の世代へと確かに手渡していかねばならない、かけがえのない「寶」である。

日本は今、外からの脅威と内なる迷いの中にある。しかし、宮司は信じている。この国には、祈りと伝統、誠と義を重んじる魂がある限り、必ずや蘇る力がある。必要なのは、その寶を思い出し、正しく見つめ、胸に据え、行動に移すことである。

この「日本の寶」は、世界が羨むに足る、真の誇りである。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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