日本人よ、誇りを取り戻せ

宮司は今、深い憂いと決意の心でこの言葉を記す。「日本人よ、卑屈になるな」。世界の喧騒と情報の渦のなかで、我が国の誇りはどこへ消えたのか。顔を上げよ。胸を張れ。日本人としての魂の芯を、いま一度確かめるときである。
國会を見渡せば、中国に媚びる政治家の姿が目につく。何度も中国・北朝鮮・韓国・ロシアに足を運び、接待という名の酒池肉林に身を委ね、心身ともに穢された者たちが議場に居座っている。ハニートラップ、マネートラップにまみれた政治屋が「国益」を口にする滑稽さ。彼らが守っているのは国ではなく、自らの利権と保身である。
宮司は強く訴える。今こそ國会を清めねばならぬ。清明なる政治を取り戻すには、嘘をつかぬ者、国民に誠実な者だけを國会に送り込まねばならない。二階、小澤、橋下、岩屋らの罪は重い。彼らのような者にこの国の舵取りを任せてはならぬ。誇り高き先人に顔向けできぬ。
誇りとは何か。宮司はその答えを靖國神社に見出している。東京に行くたび、靖國を参拝し、深く頭を垂れる。それは特別な行いではない。日本人として当たり前の行動だと考えている。しかし今、その当たり前すら忘れ去られようとしている。
今日の平和と繁栄は、英霊たちの尊い犠牲の上に築かれている。その事実を忘れてはならない。英霊は死して神となられた存在である。その神々を、「戦犯」と呼んで蔑む者たちは、もはや日本人の心を失っているとしか言いようがない。日本人は、死者を鞭打たない。それが我が国の文化であり、道徳であり、信仰である。
靖國、伊勢、出雲。日本を象徴するこれらの聖地に足を運ぶこと。子や孫を連れて参拝し、頭を垂れること。それが日本人としての誇りを再生する道ではなかろうか。参拝をしていないことを恥じる時代が、再び訪れてほしいと宮司は願う。
そして、宮司が何より大切にしているもの。それは天皇陛下、皇后陛下、そしてご皇室の御存在である。「三種の神器」と「宮中三殿」にこそ、日本の真の柱がある。日本人として最後に守るべきものは、まさにこの御皇室とその御精神であろう。
今を生きる日本人が、まず為すべきこと。それは「中今」に生きることだと宮司は信じている。過去にとらわれず、未来を恐れず、今を真剣に生きること。そして「清明」の心を忘れぬこと。
この国を、再び清らかで誇り高き国へと導くために。宮司は、今日も祈りを捧げ続けている。英霊への誠を胸に、神々への畏敬を忘れずに。