塞翁が馬の心で生きる

宮司は折に触れてこう申します。「禍福は糾える縄の如し」と。

人の世は、まさにその言葉どおりにめぐっております。幸福と不幸は、まるで縄のように寄り合わさっており、どちらが先に現れるかは誰にもわかりません。喜びの只中にいる時でも、ふとした瞬間に悲しみが訪れることがある。逆に、絶望の淵に立たされたような出来事が、のちの幸福の呼び水となることもあるのです。

「人間万事塞翁が馬」。この古の教えが語るように、人生の吉凶など人の目には測り知れぬもの。目先の出来事に心を揺らしすぎず、もっと長い時間の流れの中で、己の人生を見つめていくことが肝要です。

宮司は常々申しております。

一、災いが福と転ずることもあれば、福が災いに変わることもある。このことを心に刻み、目の前の出来事に一喜一憂することなく、正義を守り、陰徳を積んで生きていきたいものです。徳とは人に見せるためのものではなく、天が見ておられるもの。静かに、深く、善意の種を蒔いていきましょう。

二、困窮したときこそ、むしろ笑顔を忘れずに快活に過ごすことが大切です。窮すれば通ずとは、単なる言葉ではなく、大自然の理法であり、人生の真理であります。追い詰められた先にこそ、新たな道が開けるのです。

三、乱れた世の中にあっては、余裕こそが宝です。心に余裕がなければ、人の声も神の声も聞こえません。ほんのひとときでも静けさを見つけ、己の心を整える時間を持ちましょう。風雅とは、この静けさの中にこそ宿るものです。

四、世俗の交わりは、ときに人の心を傷つけます。だからこそ、利害や打算に染まらぬ、素心の交わりを大切にしたい。良き師、良き友に恵まれることは、人生の最も美しいご縁です。

五、いかに忙しくとも、書を読み、道を学ぶ時間は心の糧となります。寸暇を惜しんで学ぶことが、やがては人を大きく育ててくれます。書物の中に、古の賢者の声があり、人生の導きがあります。

六、祖国のため、同胞のために、互いに心を打ち震わせながら力を尽くすことこそ、真の生き甲斐です。国のために働くということは、派手なことではありません。日々の誠実な行いこそが、やがて国を支える柱となるのです。

禍福は、より合わせた縄のごとく交互に訪れるもの。だからこそ、人は今の幸せに溺れず、不幸を嘆きすぎず、常に中庸の心を保たねばなりません。宮司はこう願っております。すべての人が、自らの心に素直に、静かに、しかし力強く歩んでいかれることを。どんなに厳しい時代でも、夢を持ち、志を立てていれば、必ず神は「大吉」を授けてくださいます。

それが天の理であり、人の道です。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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