惟神(かんながら)の祈りと、和のこころ

宮司は、常に感じている。
日本人は決して無宗教ではない。
この国の人々は、八百万の神々とともに生きてきた。山にも川にも、風にも火にも、神の存在を見出し、畏れ敬ってきた。それは自然への信仰にとどまらず、深い「和」の精神の現れである。

「和を以て貴しと為す」。
この言葉には、日本人の心の本質が凝縮されている。争いを避け、共に生きることを尊び、違いを受け入れ、他者に手を差し伸べる。そうした生き方こそが、この国の美徳であると宮司は信じている。

宮司は、毎日の祈りにおいて、こう唱えている。

惟神霊幸倍坐世(かんながら たまちはへませ)
惟神霊幸倍坐世(かんながら たまちはへませ)

これは、神々の御心のままに、どうか幸いを賜りますようにという祈りである。ひざを折り、頭を垂れ、神々にすべてをゆだねるとき、心に静かな力が満ちてくる。その感覚を、宮司は「神氣」と呼ぶ。それは、人の力を超えた大いなるものと一体になる瞬間である。

宮司は願っている。
この世界が、ひとつの家族のようであってほしい。
人々が、木々や花々のように調和して生きられるようにと。

木と花は争わない。
苔も、キノコも、草も互いを責めたりしない。
森は、あらゆる命を静かに受け入れ、共に息づいている。
そうした「人間の森」を、宮司は世界に広げていきたいと願っている。

人は、それぞれが花になり、草になり、木になる。
そしてやがて林となり、森となる。
その森に吹く風は、光であり、水であり、自然そのものである。
自然に和するという生き方、それこそが、未来の社会が目指すべき姿だと宮司は信じている。

八百万の神々は、必ずその道をお導きくださる。
日本人は、自分のことを後まわしにしてでも、他者を思いやる民族である。
人を許し、天を敬い、人を愛する心を忘れない民族である。

宮司は、あらためて祈る。

惟神霊幸倍坐世
惟神霊幸倍坐世

神々のお導きのままに。
神のままにすべてをゆだね、いのちを託す。
祈りの言葉に宿るのは、ただひとつ。
「神様の御心のままに、生きさせてください」という願いである。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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