神の答えは、いつも最善だった

―ある患者の祈りと宮司のことば―

この世に起きるすべての出来事は、偶然ではなく、必然であると宮司は考えている。
人が思いもよらぬ困難に直面したとき、その現実を「不幸」として拒むか、
あるいは「試練」として受け入れるかで、その人の人生は大きく分かれる。

誰しも、苦しみや悲しみ、喪失に心が打ちひしがれる瞬間がある。
しかし、宮司はそうした時こそ、静かに心に語りかけるようにして思う。
「これは神さまが与えた意味ある出来事なのだ」と。
たとえ今は理解できずとも、神の意図は必ずその人に必要なものとして与えられている。

人生において、本当に意味のある出来事というのは、
その瞬間には「なぜ?」としか思えない形で現れることが多い。
だが振り返ったとき、苦しみの底でしか育たなかった「感謝」や「祈り」が芽生えていたことに気づかされる。

人は往々にして、健康、富、力、賞賛、楽しみを求める。
けれど神は、必ずしもそれをそのまま与えるとは限らない。
むしろ、人間の魂が本当に成長するために必要な「反対のもの」が与えられることがある。
宮司は、そうした神の「逆説の恵み」にこそ、深い慈しみの本質が宿っていると信じている。

ニューヨーク大学リハビリセンター病院の壁に掲げられた一編の詩に、
宮司は深い感動と真理の響きを感じてきた。
それは名もなき一人の患者が綴った「魂の告白」である。
この詩は、宮司にとって数えきれないほどの苦しい時に、希望を灯してくれた祈りでもある。

人が願ったものは与えられなかった。けれども、
その願いの奥にある「魂の真の望み」はすべて聞き届けられていた。
この気づきに至ったとき、すべての出来事が感謝に変わる。
神の御心が人に及ぶとき、それは思い通りではなく、思い以上のかたちで実現する。

宮司は信じている。
逆境にある時ほど、人は深く神に近づくことができる。
そして、求めたものではなく、必要なものを与える神の知恵にこそ、真の愛があるのだと。

この思いを、多くの人に届けたい。
以下に、その詩の全文を記す。


「苦難にある者たちの告白」
-ある患者の詩-

大事を成そうとして、
力を与えてほしいと神に求めたのに、
慎み深く、従順であるようにと
弱さを授かった。

より偉大なことができるように
健康を求めたのに、
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた。

幸せになろうとして
富を求めたのに、
賢明であるようにと
貧困を授かった。

世の人々の賞賛を得ようとして、
権力を求めたのに、
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった。

人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるように
命を授かった。

求めたものは一つとして
与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。

神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた。

私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されたのだ。
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

目次