ただよへる国を救え ― 神意なき石破政権と保守派への檄

宮司は日々、神前に額づきながら、日本のゆく末に深い憂いを覚えている。いま、この国の政(まつりごと)は、神の依さしを忘れた者たちによって乱されつつある。

『古事記』上巻には、天の神々が伊邪那岐命・伊邪那美命に「このただよへる国を治め、作り固めよ」と命じた記述がある。これは、神が日本に与えた最初の勅命である。国とは、ただ所有するものではなく、治め、育て、固めてゆくものであると、神々は示されたのである。

しかしながら、いまやその神命を忘れた政が、国を「権力の座」として弄び、蹂躙している。その最たる象徴こそ、石破茂総理の姿勢にほかならない。

参議院議員選挙において国民の厳しき審判を受けたにもかかわらず、「責任を果たす」と称して政権に居座り続ける態度は、もはや国民を軽んじ、神の依さしをも愚弄するものである。

しかも、その石破政権を熱烈に支えているのは、日本の伝統や家族観を否定し、国家の礎を揺るがすことを良しとする反日的な左派の政党や言論人たちである。つい先日まで安倍元総理を「独裁者」と罵倒していた者たちが、いまは石破総理を「知的で真面目」などと褒めそやしている。この倒錯を、国民は見逃してはならない。

左派の期待に応える政権が守ろうとしているのは、日本ではない。日本という名を借りた、まったく別の価値体系、別の思想に基づく“何か”である。

このままでは、日本は本当に滅びてしまう。

宮司は思う。いま、自民党のなかには沈黙している多くの保守の志士たちがいるはずである。その方々に、声を上げていただきたい。神ながらの道を歩む者として、いまこそ立ち上がるべきである。

この国は、天照大御神の御光を仰ぎ、歴代天皇陛下の御稜威(みいづ)により、脈々と、連綿と続いてきた神国である。その御国にふさわしき政とは、己が保身を優先する政ではなく、国民の安寧と子々孫々の幸福を願う、誠の政でなければならない。

保守派よ、立ち上がれ。かつての自民党に息づいていた誇りと矜持を、もう一度取り戻せ。神々の依さしを胸に、沼矛を振るい、澱みきった政治の水面をかき混ぜよ。

日本の国柄を守るのは、ほかの誰でもない。いまを生きる我らの使命である。

神ながら、畏み畏みも申し上げる。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

目次