人は、長所で滅びる

人は短所でつまずくのではない。意外にも、長所によって滅ぶことがある。
金がある者は、もっと欲しいとむさぼり、欲に溺れて滅びていく。
知恵のある者は、愚かな者を見下して孤立し、ついには誰にも信頼されなくなる。
顔立ちに恵まれた者は、それを鼻にかけて人の心を遠ざける。
体力のある者は、無理を重ねて自分を追い詰め、限界を超えて倒れていく。
反対に、元気のない者は、自らを卑下し、他人を羨んで心をすり減らしていく。
言葉巧みな者は、口先だけで信を失い、肝心な場面で人の心が離れていく。
人は長所で滅ぶのだ。光るものを持った者ほど、その光を制御できなければ、自らを焼き尽くす火種となる。
だからこそ、金も無く、名も無く、地位も無く、ただ日々を一歩ずつ丁寧に生きる者こそ、最も尊いのだ。
見栄も飾りもないその姿は、風に吹かれても倒れぬ草のように、しなやかで、真に強い。
人から好かれようとするあまり、誰にでも笑顔を振りまく者がいる。だが、そういう者こそ、実は誰からも深く信頼されていない。
「誰からも嫌われたくない」という思いが、結局は「誰からも愛されない」生き方に通じてしまう。
金も無く、名も無く、地位も無く、あるのは時間だけ。そんな人こそ、誰かのために時間を差し出すことができる。
社会にとって、最も必要とされる存在は、地位や肩書きをひけらかす者ではなく、自分の時間を惜しまず、誰かのために使うことのできる人間である。
表では愛想よく、裏では何を言っているかわからぬ者もいる。そういう人間は付き合いが上手いように見えるかもしれない。だが、本当に信頼できる人間とは、裏表のない者である。
軽薄な笑顔の裏に、計算や打算が透けて見えるようでは、長い人生を共にするには耐えられない。
嫌いな人間がいるのは当然のこと。無理をして好かれる必要も、好こうとする必要もない。嫌いな人とは距離を置けばよいだけのこと。
来る者は拒まぬが、去る者を追う必要はない。去りたい者は去ればいい。そうした方が、お互いにとって幸いなのだ。
義理だけで無理に付き合いを続けるよりも、たったひとりでも心から信じ合える友がいれば、それだけで人は幸せである。
心を偽らず、本音で語れる相手がひとりいれば、人生は豊かになる。
遠慮ばかりしていては、人生はあっという間に過ぎていく。
思うままに、自分らしく、自然体で生きてこそ、人は本当の意味で自由になる。
宮司はそう信じている。
長所に酔わず、短所に囚われず、静かに地に足をつけて生きる人間こそが、最後に残る。
そのような人々がつくる社会が、やがて人の心を耕し、未来を拓いていくのである。