ご来光に祈る心

宮司は毎朝、東の空がわずかに白み始める頃、拝殿に立ち、遥か彼方の水平線を見つめる。やがて闇を破り、荘厳なる光が天地を照らす瞬間。ご来光である。その神々しさに包まれるとき、自然そのものが神の御業であることを深く実感する。
古来、日本人は大自然を畏敬し、四季折々の風景や、日の出、稲穂の実りに神意を感じ取りながら生きてきた。山川草木悉皆成仏と申す通り、一木一草に至るまで尊い存在として共に歩んできたのである。ご来光を仰ぐとは、単に朝日を拝む行為ではない。天地の理(ことわり)を知り、己の小ささと共に、生命の尊さを感じ取る厳粛なる祈りなのである。
現代社会は、利便と効率を追い求めるあまり、自然との調和を忘れ、人々の心が荒廃している。大地を削り、川を汚し、山を切り崩してきたその代償は、地球環境の激変という形で我々に返ってきている。だが、ご来光に身を正し、心静かに手を合わせるとき、人間が自然の一部であるという根源的な真理に気付かされる。すなわち、自然即神妙である。大自然に対する畏敬の念を取り戻すことこそが、日本人としての誇りを取り戻す第一歩なのである。
ご来光を浴びるとき、心身が浄化され、生きる力が内側から湧き上がってくるのを感じる。それは、祖先が受け継いできた生命の営みが、いま自分の中に確かに息づいている証である。天地の恵みに感謝し、日々の暮らしを正しく営むことで、我が国は真に豊かな国となるのである。
国土を愛し、伝統を敬い、祖先に感謝する心。それが日本人としての矜持であり、その心を失ったとき、我が国は精神的な根無し草となる。しかし、まだ遅くはない。日本人一人ひとりが、ご来光に手を合わせ、自然への畏敬と感謝を取り戻すことで、この国は再び力強く甦るであろう。宮司はそう確信している。
日本の未来は、決して絶望に満ちたものではない。我々が誇りとするべきは、物質的な繁栄ではなく、悠久の歴史と、自然と共生する精神文化である。ご来光は、その道標を静かに、しかし確かに照らしている。
自然と共に生きる日本。心の豊かさを誇る日本。その未来を築くのは、他ならぬ我々一人ひとりの心の在り方にかかっている。宮司はこれからも、ご来光に祈りを捧げ、誇りある日本の再興を願い続ける所存である。