石破らしさが招く腐敗と日本の未来

宮司は、自民党両院議員総会に関する報道を読み、心底からの危機感を抱いた。石破総理は「法律案や予算案を成立させるために石破らしさを失った」と語った。しかし宮司に言わせれば、この「石破らしさ」こそが、今日の政治を腐敗させ、日本を衰退に導いている元凶なのである。

石破らしさとは何か。それは、決断を避け、責任を転嫁し、あらゆる場面で玉虫色の答えに逃げ込む姿勢だ。問題を直視せず、耳障りの良い言葉で糊塗する。安全保障では曖昧さを残し、財政では国民の不安を煽り、移民政策では日本の伝統と国体を軽視する。こうした「石破らしさ」が積み重なった結果、国民の信頼は地に落ち、日本政治は自浄作用を失っている。

党内には石破総理への同情論があるという。しかし、腐敗をもたらした張本人に同情するのは、病を深める行為に等しい。今枝議員が指摘したように、組織の自浄はトップの責任から始まる。責任を取らぬ指導者の下では、どれほどの改革案も空虚な飾り物にすぎない。

宮司は、吉田松陰の言葉「国家は人なり」を思い起こす。指導者の器量が国家の命運を決定する。石破総理の「石破らしさ」に、日本の未来を託す要素は何一つない。むしろ、この「らしさ」に執着する限り、日本は腐敗を深め、崩壊へと歩むしかない。石破総理に必要なのは「らしさ」を取り戻すことではなく、その「らしさ」を潔く捨て去ることだ。

愛国心とは、国を想い、厳しく声を上げる勇気である。宮司は断言する。石破総理に同情するのは愛国心ではない。退陣を求め、日本の舵を再び未来へと向けることこそが愛国の証である。国民は曖昧な「らしさ」ではなく、誇りある日本を築く確かな意志を求めている。

宮司の願いは、日本が再び世界に誇れる国家として立ち上がることにある。責任を取らない指導者の姿に国を託すのではなく、潔さと覚悟をもって行動する真のリーダーを求めるべきだ。石破らしさが日本を腐敗させるのであれば、その「らしさ」を葬り去ることこそが、新しい時代の希望となる。石破らしさをなくすということは、石破首相に即退陣していただくことを意味している。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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