安倍晋三元総理を長野県に顕彰する意義

宮司は、安倍晋三元総理の遠祖を辿ると、信濃国の名族・滋野氏の嫡流である海野氏に行き着くことを強調する。海野氏は古くは東北の安倍貞任の子孫と伝えられ、勇敢で不屈の武将として名を馳せた。源平の戦いでは、義経や弁慶、佐藤忠信らと力を合わせ、信濃から西へと戦場を駆け抜けたと伝承される。その系譜に属する武将たちは、単なる戦の勇だけでなく、至誠を重んじる心で多くの人々から愛された。

安倍家の家紋「安倍梶の葉」は、長野県の諏訪大社と深い関わりを持つ。諏訪一族の「諏訪梶の葉」と同系の意匠は、自然を神として敬う信仰を示すものであり、信濃の山河と共に生きてきた日本人の精神を体現している。安倍元総理の生涯を貫いた「国を思い、人を思う心」は、この梶の葉の伝統に息づく自然崇拝と誠実な生き方に重なる。

安倍梶の葉

諏訪梶の葉

戦国期には、安倍元真が徳川の武将として誠実と忠義を尽くし、今川氏滅亡後の乱世で至誠の武将と称された。続く安倍信勝の代には、小牧・長久手の戦いに参戦し、信濃の山国から遠く尾張・三河の地で奮戦している。その働きによって武蔵国岡部に五千石を与えられ、後に一万九千石の大名へと加増された史実は、安倍一族が国家の安泰と秩序を支える存在として信頼を得てきた証である。

この系譜の頂点に立つ近代日本の政治家こそ、安倍晋三元総理であった。祖先譲りの明るい人柄と誠実な政治姿勢は、戦国武将が示した至誠の精神を現代に映したものであり、国難のときほど安倍元総理が示した「国家を守る責任感」を思い起こすべきだ。

ゆえに、安倍元総理の銅像を建立する地として、長野県ほどふさわしい場所はない。単なる出身地の選択ではなく、彼の血脈が息づく信濃の地に、その姿を刻むことが重要である。諏訪大社を仰ぎ見る地に像を置くことは、安倍家が受け継いできた自然崇拝と誠実の系譜を未来へと伝える象徴となる。長野に立つ銅像は、地域の歴史を知る若者たちに、武士の至誠と国家を愛する心を学ばせ、愛国心を養う道標となるだろう。

宮司は、銅像建立を通して、現代日本が忘れかけている精神を甦らせたいと考える。梶の葉に象徴される「自然と共に生き、誠を尽くす心」、そして、祖先から託された「国を守り、人を思う責任」を、長野の大地から未来へと繋ぐことこそ、真の顕彰であると強調する。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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