葉隠に生きる─嫌われる人間と好かれる人間

宮司は、人の本質は日々の姿勢にこそ現れると考える。どれほどの知識や肩書を持っていても、素直さを失えば、その人の魂は濁っていく。知ったかぶりをして屁理屈を並べ、自分を大きく見せようとする者ほど、実際にやらせてみれば頼りにならないことが多い。そうした態度は、周囲を白けさせ、仲間から遠ざけられていくものだ。
逆に、朗らかでユーモアがあり、穏やかな人は、場の空気を和らげ、周囲を前向きに変える力を持つ。大和魂とは、剛直さと同時に、他者を思いやる温かさを備えた心である。暗く後ろ向きな姿勢や、逃げ腰の態度、自虐に終始する姿は、人を引き付けるどころか孤立を招く。仕事を任されたなら、口先で理屈を言う前に、まず手と足を動かす。それが、奉公の道であり、国と仲間を支える道である。
宮司は、大和の国に生きる者は、へりくだる勇気を持たねばならないと考える。自分より若い者の意見にも耳を傾け、同僚の下風に立つことを喜びと感じられる人こそ、真に強い。力ある者ほど謙虚であり、笑顔を絶やさない。それは、葉隠が説く「人から好かれる者」の姿にほかならない。
かつての武士たちは、己を誇ることなく、仲間と国のために黙々と務めを果たした。現代においても同じだ。奉仕の精神、謙虚な心、そして笑顔。この三つを忘れぬ限り、たとえ世間が移ろおうとも、大和魂は生き続ける。日本を支えるのは、特別な英雄ではなく、日常の小さな場面で「好かれる人間」であろうと努める一人ひとりの姿なのだ。これを仏教では妙好人ともいう。
葉隠聞書
少し理屈など合点したる者は、やがて高慢して、一ふり者と云はれては悦び、我今の世間に合わぬ生まれつきなどと云ひて、わが上あらじと思ふは、天罰あるべきなり。何様の能事持ちたりとて、人の好かぬ者は役に立たず。御用に立つ事、奉公する事には好きて、随分へりくだり、朋輩の下に居るを悦ぶ心入れの者は、諸人嫌わぬ者なり。
< 訳 >
何かというと屁理屈をこね、知ったかぶりをする者は、やがて高慢になり、自分が偉いと勘違いする。自分はこの時代にはもったいない存在だなどと思い込み、誰よりも上だと振る舞う者には、必ず天罰が下る。どんな才能を持っていても、人から好かれない者は役に立たない。仕事に喜びを持ち、へりくだり、同僚の下風に立つことを喜びとする者は、誰からも嫌われることはない。
