大国の虚勢に惑わされず、日本人の矜持を守り抜くとき

中国外交官が両手をポケットに入れ、日本の代表に対して無礼な態度をとったと報じられた一件に触れ、宮司は国と国の「品位」というものについて深く考えさせられた。外交は国家の顔であり、そこで見せる立ち居振る舞いは、その国が育んできた精神そのものを映し出す。今回のように虚勢と威圧をもって相手を圧倒しようとする姿は、中華帝国の古い支配思想を思わせるものであり、世界から尊敬される姿とは言い難い。
しかし宮司がより重く受け止めるべきだと感じるのは、相手の無礼そのものではなく、それをいかに受け止め、いかに振る舞うかという、日本の側の姿勢である。日本の外交官が落ち着いた態度で対応した様子に対し、一部では「弱々しい」との声も聞かれる。しかし宮司には、そこにこそ日本人が大切にしてきた節度と矜持が宿っているように思われる。挑発に乗らず、感情を高ぶらせず、礼を失わぬという態度は、古来より大和の国が尊んできた美風である。
強い者とは、声を荒げる者のことではない。本当に自信ある者は虚勢を張る必要がない。宮司は、武士が刀を佩きながらも無闇に抜くことを恥じた精神を思い起こす。日本人の強さとは、沈思と克己の中にある。隣国の喧騒や威嚇に心を奪われることなく、静かに、しかし確かな意志を胸に抱いて国を守る姿勢こそ、日本人としての誇りである。
一方、挑発を演出する国家が世界から尊敬を得ることはない。威圧的な振る舞いで権威を示そうとする国は、やがて内側から崩れていく。歴史的にも、強国を気取った国ほど、その内部は不安と不信に満ちてきた。宮司は、世界が尊敬する国とは、誠実さと節度を失わず、国民を大切にし、周囲と調和を図ろうとする姿勢を示す国であると考えている。
今回の出来事を目にし、未来を担う若い世代が、自国の立場を正しく理解し、国を守るという意識を持つことの重要性が一層高まっていると宮司は感じる。礼節を弱さと誤解する風潮があるが、礼節を保つためには強い心が求められる。節度を貫くためには、揺るぎない自信が必要である。日本人が古来より受け継いできた精神文化は、静かであっても強く、控えめであっても確固たるものだった。この精神を次の世代へと伝えていくことこそ、宮司の大切な務めである。
外からの無礼が目立つときこそ、日本人は自らの国柄を深く理解し、内に宿る品格を守り抜かなければならない。大和の国が千年を超える歴史の中で磨いてきた精神は、いかなる動揺や挑発にも左右されないものであった。それは、表面的な強さではなく、内なる静かな炎のような強さである。
今回の一件は、隣国の虚勢と日本の節度という対照的な精神を映し出した象徴的な出来事であったと宮司は考えている。日本が歩むべき道は、挑発に反応して感情を高ぶらせる道ではなく、自らの礼節を守り、言うべきことは堂々と言い、国家としての格を静かに示す道である。その姿勢こそが、大和魂を未来に繋ぐ道であり、日本が世界で尊敬され続けるための柱となるものだと、宮司は固く信じている。
