浩然の氣を養う。言葉を生きる勇気

宮司はかつて、安岡正篤師父と豊田先生から「浩然の氣がわかったか」と問われた。その問いに、「広く、大きく、強く、おおらかな気のことです」と答えた。すると師は、「それを本当に理解するのに二十年かかる」と静かに告げた。以来、八十を越えた今も、その言葉の意味を噛みしめて生きている。
浩然の氣とは、孟子の教えの中でも最も理解が難しい概念である。孟子はこれを「広大で、剛健で、正しく、素直なもの」と述べ、「天地の間に満ち満ちる」と形容した。これは、単なる気合いや闘志ではなく、人間の心に宿る“義と道”に伴った生命の力である。正しさを積み重ねてこそ養われ、偽りや怠惰によってたちまち萎えてしまう。外から与えられるものではなく、自らの行いによってのみ育まれるものだ。
宮司は、この「浩然の氣」を“行動する勇気”と捉えている。人間学とは、知識を語る学問ではなく、実践の学である。言葉だけでなく、言ったことを愚直に実行する勇気こそが人を育てる。自分の信念を貫き、たとえ周囲に理解されなくとも正しいことを貫く。その勇気の連続が、やがて人生を形づくる。浩然の氣とは、そうした「行動する心の力」である。
歳を重ねた今も、早朝修行を欠かさない。修行の意味は、心を鎮めるためだけではない。自らに厳しく、他者にやさしくあるための鍛錬でもある。人にやさしくするには、自分に厳しくなければならない。やさしさは強さの裏付けがあってこそ本物となる。流されず、怒らず、恐れず、正しさを守る。その内にこそ、浩然の氣が静かに満ちていく。
この氣は、国家にも通じる。正義を見失えば、国の氣も萎える。義を重んじ、道を歩む政治こそが、民を導く力を持つ。個人が浩然の氣を養うように、国もまた気品と正義を積み重ねてこそ、真の強さを得ることができる。武力ではなく、徳の力によって国を保つ。これが孟子が説いた「浩然の氣」の精神であり、日本人の道に通じる。
宮司は今も、言葉を実践することの難しさを噛みしめている。言葉は易く、行いは難い。だが、困難を前にしても、恐れずに一歩を踏み出す勇気が人を育てる。その一歩が自らの魂を清め、社会を変えていく。浩然の氣は、誰もが持つことのできる“生きるための勇気”である。それを養い続けることが、人として、そして日本人としての道である。
