義に生きる国、日本。利を超えて心を正す道

宮司は、人の道を説くとき、まず「義」と「利」の違いを見つめることから始める。古来より「義の反対は利である」と語られてきた。義は人の心を正すものであり、利は人の欲を誘うものである。義は平等を生み、利は不平等を育てる。現代の混迷は、まさにこの二つの力の均衡を失ったところから始まっている。

義とは、己の損得を超えて、人として為すべきを為す心の姿勢である。そこには打算がない。人を思い、社会の調和を願い、己の行いを天に恥じぬように律する力である。古の武士が「義を見てせざるは勇なきなり」と言ったのは、義こそが人を生かし、国を保つ根幹だからである。義に立てば、誰もが対等であり、身分も貧富も隔てなく、ただ誠の心のみが価値を持つ。

一方、利は人を隔てる。利の追求は便利を生み、豊かさをもたらすが、それは同時に他者を踏み台にする競争を生む。利の世界では勝者と敗者が生まれ、格差が広がり、心は荒む。利を求めることが悪ではない。だが、義を忘れた利は、やがて人を滅ぼす。宮司は、利を制するのではなく、義によって利を導くことが人の道だと考える。利はあくまで道具であり、目的であってはならない。

義の根には「思いやり」と「恕(じょ)」がある。相手を自分と等しく見る平等の精神である。神道における「惟神(かんながら)」の心もまた、自然と人とが共に生きる調和の教えに通じる。人が義を重んじるとき、そこには必ず和が生まれる。和は調和であり、共生であり、そして祈りである。日本人の魂は、この「義と和」によって育まれてきた。

宮司は、現代の日本にこそ義の再興が必要であると説く。数字や効率に支配された社会では、人の真心が軽んじられ、義の価値が見えにくくなる。しかし、どれほど技術が進化しても、人が人を思う心がなければ国は滅ぶ。義は古びた言葉ではない。むしろ、未来を照らす光である。利が支配する時代にあっても、義を忘れない心を持つ人が増えれば、この国は必ず甦る。

義は平等である。人の苦しみに寄り添い、共に涙し、共に笑う。そこに国の力が宿る。利は個を豊かにするが、義は全を豊かにする。義を立てる国こそ、真に強い国である。宮司は信じている。義に生きる人が増えるとき、日本の魂は再び輝きを取り戻すことを。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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