迷いは神の呼び声。行動によって魂を磨く道

人生には迷うときがある。人は誰しも、進むべきか留まるべきかで心を揺らす。宮司は、迷いを恐れぬ人であれと説く。迷うということは、己の中にまだ誠がある証であり、心が生きているしるしである。迷いを抱いたなら、立ち止まらずに行動すべきだと宮司は言う。行動することでこそ、人は成長し、道は開かれる。

やる前から損得を計算し、石橋を叩き続けていては、一歩も進めない。宮司は、橋は叩くものではなく渡るものだと教える。渡ってみて初めて、向こう岸の景色が見える。たとえ途中で落ちたとしても、水に濡れるだけで命まで奪われはしない。行動は、神の試練と祝福を同時に受け取ることでもある。恐れよりも、挑む心を尊ぶのが神の道である。

人は決して一人ではない。共に笑い、共に涙を流してくれる人が必ずそばにいる。宮司は、人と人との結びを神の御業とみなす。行動を通してその絆は深まり、迷いは祈りへと変わっていく。誰かのために動くとき、人は孤独から解き放たれる。支え合う心こそが、神に通じる真の生き方である。

行動の時を逃してはならないと宮司は言う。過去はすでに終わり、未来はまだ形を持たない。生きられるのは、ただ今しかない。「今やる」という決断に、すべての真理が宿る。迷ったその瞬間こそが、神が与えた行動の時である。思案を重ねて時を失えば、運命の扉は閉ざされてしまう。心が動いた今を生きる。それが、神と共に生きるということだ。

損得を超えた行動には、清らかな力が宿る。宮司は、人の価値は得たものではなく、誠を貫いたことにあると説く。損を恐れては誠を守れない。橋を渡り、水に濡れながらも笑う者の魂は強い。行動とは、魂を清める禊である。恐れを捨てて一歩を踏み出す者の心には、神の光が差し込む。

行動とは、信仰である。神を信じ、人を信じ、自らを信じる力があって初めて、道は拓かれる。宮司は、迷いを恥とせず、行動を祈りとして生きる姿勢を大切にしている。考えるだけでは道は見えない。歩むことでしか真実は現れない。日本人の魂は、行動によって磨かれる。迷うときほど前に進み、今を生きる。その勇気こそが、神に近づく最も確かな道である。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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