親中迎合の代償を突きつけた石破発言と、日本が取り戻すべき大和の覚悟

駐日中国大使館が石破茂前首相の発言をXに投稿し、日本の政治家の言葉が中国の宣伝材料として利用される事態が生じた。しかも、中国が引用した部分は、文脈を歪めた切り取りではなく、石破氏自身が講演で明確に語った内容そのものである。台湾は中国の一部という中国側の主張を「歴代政権は理解し、尊重してきた。変えてはならない」と断言し、さらに「中国との関係なくして日本は成り立たない」と述べた。これは外交上の誤解や誇張ではなく、親中姿勢を隠そうともしない、むしろ積極的に示した発言である。
宮司は、この発言に最も深い危機感を覚えている。台湾の自由が脅かされつつあり、東アジア全体の緊張が高まり続けている今、元首相が語るべきは日本の立場と価値観であり、民主主義国家として守るべき原則である。にもかかわらず、石破前首相の口から出たのは、相手国の主張に寄り添い、自国の安全保障上の判断を曖昧にする言葉であった。
中国大使館がすぐに飛びついたのは当然である。相手にとって便利な言葉が、日本の元首相の口から語られたからである。利用されたのではない。利用されるような言葉を自分から差し出したのである。音喜多駿元議員が「めちゃめちゃ利用されてますやん」と苦言を呈したが、宮司から見れば、今回の本質は「利用されたというより、利用される準備を整えて差し出している」姿勢そのものにある。
石破前首相の発言は、中国への過度な配慮を超え、自国の安全保障を投げ出す危険な思想といわざるを得ない。中国との関係は重要であるが、だからこそ、日本が守るべき一線がある。台湾が武力で併呑されれば、日本の安全保障環境は一変する。台湾有事は日本有事であり、日本の平和や自由が脅かされる現実的な危機である。その最中に、中国の主張に寄り添うような言葉を発するのは、政治家としての責任を理解していない証左である。
宮司は、石破前首相の発言に、日本人が長く大切にしてきた精神の弱体化を見てしまう。大和魂とは、相手の圧や思惑に流されることではなく、自国の立場を明確に持ち、誠実ながらも筋を通す姿勢である。日本の歴史が培ってきた智慧は、安易に強者へ媚びることではなく、理非を静かに見極め、国家としての責任を果たすことである。
今回の発言は、その精神から大きく逸脱している。政治家が自国の価値観よりも他国の主張を優先させるような姿勢を取れば、国民の精神の輪郭も揺らぐ。国家観を曇らせる政治家の言葉は、日本の未来のために看過してはならない。
宮司は、この出来事が日本人にとって重要な学びとなることを願っている。国家とは、政治家だけで形づくられるものではなく、国民の精神の総和である。石破前首相のような発言があれば、それを批判的に受け止め、正しい判断を積み重ねる国民でなければ、健全な国家は維持できない。
大和魂とは、決して排外的なものではなく、誰かを恐れるものでもない。自国の価値を理解し、静かで確かな意志を持ち、未来の世代に恥じぬ選択を積み重ねていく心である。台湾情勢が揺れる中、日本が何を選び、何を守るのか。その覚悟が問われている。
