心に翻る日の丸。日本人の誇りと祈り

幼いころ、校庭に整列して朝礼を迎える時間は、特別な緊張と誇らしさに満ちていた。空は澄み渡り、上級生の手によって掲げられる国旗を見上げると、白地に赤く浮かぶ日の丸が朝の光を受けて輝いていた。歌声が重なり、風が旗を揺らす音に心が静まり、自然と胸の奥から尊いものを感じ取っていた。あの瞬間の記憶は、今も鮮明に残っている。

宮司にとって、日の丸は単なる国旗ではない。生まれ育った土地の風、教室の声、友の笑顔、そして祖国の心がすべてその白と赤に込められている。白は清らかさを、赤は生命の躍動を表しているように思える。日の丸が風に翻る姿を見るたびに、命の連なり、歴史の積み重ねを感じる。そこには理屈を超えた感謝と誇りがある。

日の丸は国を象徴する旗である前に、心の旗である。戦いや支配の象徴ではなく、祖国を思う静かな祈りの形である。人の心の中にこそ真の国旗は存在する。掲げる場所がなくとも、誰も見ていなくとも、胸の奥に掲げる旗は消えることがない。その旗がある限り、人は自分の国を愛し、誇りを持ち続けることができる。

日本の国旗がこれほどまでに美しく、力強いのは、その形の単純さにある。白と赤の二色だけで、無限の意味を宿す。清らかな精神と燃えるような情熱が一枚の布に同居している。これは単なるデザインではない。神話の時代から続く「日の神」を敬う心、自然とともに生きる日本人の信仰が形となっている。旭日とは新しい命の始まりであり、再生を象徴する。日本の国旗は、国そのものの魂を表している。

今の時代、日の丸を掲げることにためらいや否定的な声があるのは悲しいことだ。国旗を否定するということは、自分の生まれた土地や祖先を否定することに等しい。国を愛するということは、他国を貶めることではない。自らの歴史と文化を誇り、世界の中で謙虚に生きる姿勢を持つことだ。日本の国旗はその象徴であり、愛国心とは強制されるものではなく、自然と湧き上がる感謝の心から生まれるものだ。

日の丸を見上げるとき、祖先の祈りを思い、未来の子供たちに伝えたいという思いが湧いてくる。この国の山河を愛し、言葉を守り、家族を大切にしてきた無数の人々の心がそこに重なる。日の丸は過去と未来をつなぐ架け橋であり、日本人の心の記憶そのものである。

宮司は願う。日本人一人ひとりが再び日の丸を見上げ、そこに誇りと感謝を感じられる国であってほしいと。日の丸が風に揺れる光景は、祖国が生きている証であり、祈りの形である。心の中に旗を掲げる者は、どんな時代にあっても迷わず、志を失わない。

日の丸は空にあるだけではない。人々の胸の奥で、今も静かに翻っている。その白の清らかさと赤の輝きが、日本という国を永遠に照らしている。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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