戦後秩序への挑戦と大和魂の覚醒

台湾有事を巡る国会での答弁をきっかけに、中国の姿勢は、戦後国際秩序そのものに挑もうとする危うい様相を帯び始めている。これまで中国は台湾問題を内政問題と強弁してきたが、その主張の底が抜けつつある。世界が台湾を「国際問題」として捉え始めたのは、他ならぬ中国自身の過剰な反応が、国際社会の目を醒まさせたからである。

宮司は、この一連の動きを目にし、ひとつの確信を深めている。国家が他国を威圧し、歴史を都合よく塗り替え、社会を一色に染め上げようとする時、その国は自らの未来を閉ざす。精神の自由を奪い、多様性を抑え込み、あらゆる価値観を力で統制しようとする国家は、文明の成熟という長い旅路から脱落していくしかない。中国が今、歩みを進めている道は、まさにそのような危うさを内包している。

しかし、宮司の関心は中国の歪みそのものではない。むしろ、その歪みによって照らし出される、日本人の精神の可能性にこそ注がれている。

日本には、古来より「大和魂」という言葉がある。これは武力を誇る精神ではない。争いを好む精神でもない。逆境にあっても心を鎮め、己を律し、礼節を忘れず、世界と和を以て結ぼうとする精神である。この精神は、他者を屈服させるための力ではなく、他者を包み込み、争いを鎮めていく力である。

宮司は、大和魂にこそ、世界が混迷の時代を越えるための知恵が宿っていると考えている。人を支配しようとすると争いが生まれ、人を敬おうとすると平和が生まれる。その単純にして普遍の道理を、長い歴史の中で磨き続けた民族は多くない。日本は、その稀有な国の一つである。

中国が台湾を威圧し、日本を声高に非難し、国際社会に敵意を撒き散らしている姿は、対照的に日本の精神の静けさを浮かび上がらせる。怒りに任せた言葉は、国家の品格を損ない、国際社会の信頼を蝕む。真実に向き合い、歴史の重みを踏まえ、礼を守り、節度を備えた言葉は、人々の胸に深く届く。

宮司は思う。力の誇示では、決して世界はまとまらない。
圧力と恐怖で他者を動かす国家は、必ず反発と孤立を呼ぶ。
必要なのは、静かに光を放つ精神である。

その精神を日本は持っている。大和魂は、時に柔らかく、時に厳しく、時に温かく人を導く。争いの火に油を注ぐのではなく、火を沈め、風を鎮め、人心を安らぎへと戻す働きを持つ。

宮司は確信する。大和魂は世界を救う力になり得る。それは理想論ではなく、日本の歴史が証明している事実である。千年以上、人々が互いの心を尊び、自然の理を畏れ、共同体を守り続けてきた結果が、日本という国の姿である。

国際社会が激動の時代に入った今こそ、日本人が自国の精神の価値に目を向ける時である。中国の歪んだ姿勢を反面教師とし、権勢への執着や支配の欲望から自由な精神を取り戻すべきである。

世界を動かすのは、必ずしも強大な軍事力や経済力だけではない。国家がどの精神を選び取り、どの価値を世界に示すかで、国際社会の行方は大きく変わる。

宮司は願う。日本が再び、世界の精神的支柱としての役割を果たす国となることを。そのためには、国民一人ひとりが大和魂を胸に、己の心を澄ませ、日々を生きることが欠かせない。

静かな強さ。
争いを鎮める知恵。
人を尊ぶ心。

この三つを備えた国は、世界に多くない。その道を歩み続けることこそ、歴史に対する責任であり、未来への奉仕であると宮司は考えている。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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