紀伊山地が示す大和魂の継承

世の移ろいの中に立ち、日本人が失いつつある根源的な精神のあり方に深く思いを馳せる時、祖先が抱き、連綿と受け継いできた「大和魂」の聖地たる紀伊山地に、その継承の鍵を見出すことができる。
紀伊山地。奈良、和歌山、三重の三県に跨るこの山岳地帯は、単なる地理的名称ではない。古代より都人が吉野川から南へ広がる険しき山々を「神々の坐す地」「仏の宿る聖域」と仰ぎ見てきた、目に見えぬ精神文化の源流である。
この山地は一年を通じて降雨が多く、深く切り立った山岳地形が人々の侵入を拒んできた。しかし、まさにその厳しさが神秘を生み、人々の信仰心を呼び起こす揺るぎない力となった。山や岩、森や川、滝といった峻厳な自然の中に澄みわたる空気と清らかな水が流れ、その静謐の景色の奥に、祖先は神仏の姿を見た。自然そのものに神を見出す、この原初的で根源的な感覚こそ、日本人の信仰心の出発点であり、大和魂の礎である。
この神聖な山地には、「吉野・大峯」「高野山」「熊野三山」という三つの霊場が、それぞれ独自の信仰を保ちながらも相互に深く関連し、長い年月をかけて豊かな宗教文化を育んできた。
まず「吉野・大峯」は、修験道の中心地として発展し、山野を駆け巡り、厳しい修行を通じて悟りを求める霊場として広く知られる。とりわけ金峯山は農耕に必要な水、あるいは金などの鉱物資源を産出する山として崇敬され、その名声は十世紀中頃には海を越えて中国にも伝わった。吉野水分神社が象徴するように、水への感謝と生命の源を敬う精神がこの地の根幹にある。
「高野山」は、弘法大師空海が開いた真言密教の根本道場である。金剛峯寺を中心に一千二百年、深遠なる仏の教えが途絶えることなく受け継がれてきた。生死を超えた魂の安寧を求め、この地を訪れた無数の人々の祈りが、高野山の静謐な空気の中にいまも息づいている。
「熊野三山」は、神仏習合の思想を体現し、身分や性別を問わずすべての人を受け入れてきた包容の聖地である。「蟻の熊野詣」と呼ばれるほど、参詣者が列を成して熊野古道を歩き、罪を悔い、救いを求めたその姿は、日本人の持つ寛容性と融和の精神を象徴している。
これら三霊場を結ぶ「大峯奥駈道」「熊野参詣道」「高野山町石道」これらが一体となり形成された「紀伊山地の霊場と参詣道」は、平成十六年七月、世界遺産に登録された。
その際の評価基準に注目すると、この文化遺産の真価がより明確となる。特に「顕著な普遍的意義を有する伝統・信仰と直接に、または明白に関連するもの」との基準に合致している点は、紀伊山地が日本の精神文化形成そのものにどれほど深い影響を与えてきたかを雄弁に語っている。
ここは、自然と人間の信仰心が一体となって形成された「文化的景観」である。文化財保護法に基づき、史跡・名勝・天然記念物、さらに国宝や重要文化財が多数指定されているが、これらは外形にすぎない。真に守るべきは、この地で育まれた精神性。自然を畏れ、感謝し、困難な修行によって魂を磨き、揺るぎない死生観を確立してきた日本人の心の在り方そのものだ。
かつて、国の礎を築いた英霊たちもまた、この山河が与える自然との一体感の中に、国家の理想と国民の精神の方向性を見出した。
いま、物質的豊かさの中に精神的な空白が広がる時代にあって、紀伊山地が示す厳粛な山岳信仰の景観、そして古の参詣者の祈りの足跡は、我々が立ち返るべき大和魂の原点を指し示している。
この聖地が世界遺産として守られているという事実は、日本が誇る「目に見えぬ精神文化」を未来へと伝える大いなる使命を意味する。吉野・高野・熊野に息づく教えを一人ひとりが胸に刻み、後の世へと引き継ぐこと――それこそが、現代に生きる我々が担うべき責務である。
紀伊山地の普遍的意義を深く再認識し、自らの内なる信仰心と大和魂を研ぎ澄ませた時、明るい未来を切り開く原動力が生まれる。
その先に、宮司には、日本の歴史が再び世界へと広がっていく光景がはっきりと見えている。大峰山の遥か上空には役行者がおわしまし、大和の国の様子を見守っておられる。
