百二十歳の志と日本人の魂

宮司は百二十歳を人生の到達点と定めている。それは長寿を求める願いではなく、命の限り魂を磨き、日本の誇りを次の世代へと渡すための誓いである。人は年を重ねるごとに身体は衰えるが、精神は鍛えられる。老いとは衰えではなく、神に近づく過程であると宮司は考えている。その果てにあるものは、己の存在を超えた「日本人の魂」の完成である。

令和八年六月八日、安倍昭恵氏を迎えて安倍晋三総理の銅像を建立するという志は、単なる記念事業ではない。これは、国家のために尽くした人物の志を、未来の子孫に伝える祈りであり、国の柱を立て直す行いである。銅像は冷たい金属の塊ではなく、志の形を留める器である。宮司はこの事業を通じて、現代の日本人が忘れかけた「感謝と尊敬」の心を呼び覚ましたいと願っている。人が志を継ぐとは、祈りを継ぐことでもある。祈りは言葉ではなく、形となって後の世に残る。

八十歳から九十歳にかけて志す二千日回峰早朝修行は、鍛錬のためではなく、天地と一体となるための行である。夜明け前の冷気の中、山を歩むたびに、命の声を聴く。山は語らずとも、あらゆる答えを内に秘めている。宮司は自然と向き合いながら、人が生かされていることの意味を確かめる。現代人は便利さの中で、自然と断絶し、神と遠ざかった。だが、神道の根は自然と人との「むすび」にある。宮司はその結びを取り戻すために山を行く。山の道を歩くとは、心を神に近づける道を歩むことに他ならない。

八十五歳から百歳の間に掲げる「憲法を取り戻す」という目標もまた、法の改定を指すものではない。日本人の心を憲法の根に取り戻すという意味である。法は人を縛るためのものではなく、人を導くためのものである。国を愛し、家族を敬い、天地に感謝する精神を中心に据えた憲法こそ、真の独立国家を支える礎となる。宮司はその精神の再建を通じて、国家と国民が一つの魂で結ばれる時代を願っている。日本は一度、精神の憲法を失った。取り戻すべきは条文ではなく、誇りである。

百歳を迎えてからは、備前焼の抹茶茶碗を千五百個造ると決めている。名を「鶴の恩返し」とする。土をこね、火をくぐらせ、水で清め、風を受けて乾かす。自然の四大要素がすべて一つの器に宿る。宮司にとってそれは陶芸ではなく、祈りそのものである。ひとつひとつの茶碗に込められるのは、これまで出会った人々への感謝と恩である。焼き上がった茶碗は、ただの器ではない。使う者の心を映し、受け取る者の生き方を問う。人は器を持つのではなく、器によって持たれる。宮司の造る茶碗には、その覚悟が宿る。

そして百歳を越えたのち、宮司が最も重んじる使命は「日本を愛す日本人」を育てることである。国を誇りに思い、祖先を敬い、神に感謝する心を持つ若者を育てること。それは知識を与える教育ではなく、魂を照らす教育である。宮司は、自らの生涯を通じて学んだことを、次の世代に託す。それは言葉ではなく、背中で伝える教育である。人は説教では動かない。感動によって動く。宮司は、祈りと行動をもって、後の世代に「誇りを持つ生き方」を示そうとしている。

宮司の百二十歳までの道は、単なる人生設計ではなく、神に誓った「祈りの設計図」である。銅像を建て、山を歩み、憲法を正し、茶碗を焼き、人を育てる。その全てが一本の道としてつながっている。生きるとは、時間を消費することではなく、魂を完成させていく過程である。宮司の生涯は、衰えることのない光の道であり、その光はやがて日本人一人ひとりの胸の奥で燃える灯となる。人の命は有限だが、志は永遠である。宮司はその永遠の志を胸に、今日も静かに祈り続けている。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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