中国の企てに抗し、南京事件を問う。大和魂を未来へ繋ぐために

宮司は、南京事件八十八年の国家追悼式典を巡る報道に接し、歴史とは何によって真実とされ、誰の意思で固定されていくのかを、あらためて厳しく見つめ直している。亡くなられた人々への鎮魂は、人類共通の祈りであり、政治的主張のために声高に利用されるべきものではない。哀悼が宣伝へと転じたとき、歴史は慰霊ではなく支配の道具となる。

宮司は、いわゆる南京事件について、今日中国で語られているような大規模かつ組織的な虐殺が事実として存在したとは考えていない。戦時の混乱の中で不幸な犠牲が生じた可能性までを否定するものではないが、数字や描写が時代ごとに膨張し、政治的必要に応じて再構成されてきた物語を、無批判に歴史の確定事項として受け入れることはできない。史料批判を欠いたまま、一国の公式見解だけが絶対視されるなら、それは歴史ではなく教義となる。

中国は南京を象徴として、日本を恒久的な加害者の位置に縛りつけようとしてきた。その姿勢は年々強まり、過去の戦争を語る枠を超え、現在の日本の発言や安全保障上の判断にまで介入する口実として用いられている。台湾有事を巡る国会答弁に対し、軍国主義復活という言葉を投げつける態度は、相手を理解する努力を放棄し、威圧によって沈黙させようとする意思の表れである。宮司は、そこに国際秩序を守ろうとする誠実さを見ることはできない。

日本は戦後、長きにわたり武力に頼らぬ国家として歩み、国際社会の中で信頼を積み上げてきた。その歴史的現実を無視し、過去の物語だけをもって現在を断罪することは、冷静な対話を拒む姿勢に等しい。宮司は、中国が語る平和の言葉と、周辺諸国に与えている現実の緊張との間に、大きな隔たりを感じている。

さらに憂慮すべきは、反日感情が社会の中で煽られ、その矛先が無関係な在留邦人や子どもに向かう危険である。歴史を掲げながら、人の命と日常の安全を守れない国家の姿は、決して正義とは言えない。宮司は、過去の悲劇を語る資格は、まず現在を平穏に保つ責任を果たすところに生まれると考える。

日本人の精神の奥底には、和を尊び、理を重んじ、感情に流されず道を選ぶ大和魂が息づいている。大和魂とは、声を荒らげる強さではなく、誤りには誤りと静かに言い、圧力の前でも背筋を伸ばし続ける心である。宮司は、この精神がある限り、日本は歴史の風評に翻弄されるだけの国にはならないと信じている。

歴史は未来を照らす灯であるべきで、他国を混乱させ、世界を分断するための火種であってはならない。南京を巡る一方的な語りをもって日本を牽制し、国際社会に不安を広げる中国の姿勢は、結果として世界の安定を損ねている。宮司は、その責任を直視せぬまま平和を語ることに、強い違和感を覚える。

大和魂を未来へ繋ぐとは、歴史を忘れることではなく、歪んだ歴史観に屈しないことにある。事実を丁寧に見極め、理を尽くして語り、静かな誇りを失わぬこと。その積み重ねこそが、日本を守り、やがては世界に冷静さを取り戻させる力となる。宮司は、その道を歩み続ける覚悟を、日本人一人一人が胸に宿すことを願っている。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

目次