和を以て貴しと為す、日本の魂が世界を救う道

宮司がいま最も深く案じているのは、世界がかつてないほど分断と対立に引き裂かれている現実である。国と国、民族と民族、宗教と宗教、思想と思想が鋭く対立し、互いを理解しようとする心が急速に失われつつある。力には力で対抗するという発想が当然のように広がり、憎しみの連鎖が止まらない。だが日本には、遠い昔からこの世界の分断を根本から溶かし得る精神が受け継がれてきた。それが「和を以て貴しと為す」という生き方である。

聖徳太子が十七条憲法の第一条に掲げたこの言葉は、単なる道徳訓ではない。争いを避けるための消極的な教えでもない。互いの違いを認め合い、その上で調和を求めるという、きわめて能動的で高度な精神文化である。話せば分かり合えるという信頼、耳を傾ければ心は通じるという確信、そこに日本人の精神の根がある。宮司はこの精神こそが、今こそ世界に差し出されるべき日本の贈り物であると考えている。

宮司が言葉の奥に見つめるのは、和の精神のさらに深奥にある「むすび」の思想である。天地が初めて動き出した時、高天原にお成りになった天之御中主神、高御産巣日神、神御産巣日神。いずれも「むすび」の名を宿す根源の神々である。むすびとは、単に結びつくという意味を超え、命と命、心と心、過去と未来、見えるものと見えぬものを一つに結び合わせる宇宙の働きそのものを指す。

人と人が出会うのも偶然ではない。国と国が関わるのも偶然ではない。そこには必ず「ご縁」が横たわっている。宮司は、このご縁を粗末にする世界の在り方に、静かな危機感を抱いている。互いに利用し、搾取し、排除する世界は、むすびを断ち切る世界である。その先にあるのは必ず荒廃である。

天地人という言葉がある。天と地と人がそれぞれ勝手に存在しているのではなく、三つが調和し、支え合い、結び合うことで世界は成り立っているという考えである。宮司は、現代社会がこの三位一体の調和を見失っていると感じている。人間は科学を誇り、医学を誇り、経済を誇り、あたかも自然を完全に支配したかのような錯覚に陥っている。しかし自然は決して人間の支配下に置かれるものではない。

コロナウイルス、地震、台風、津波、山崩れ。これらは突然生じた異常ではない。はるか昔から幾度も繰り返されてきた、自然の側からの厳然たる問いかけである。人間はどれほど知恵を重ね、技術を磨いても、自然から逃れることはできない。だからこそ宮司は、自然の懐に抱かれて生きているという事実に、もう一度深く気づくべき時が来ていると伝えたいのである。

自然の恵みがあるから命はつながり、自然の猛威があるから傲りは砕かれる。美しさと恐ろしさは同時に存在し、そのどちらもが自然の真の姿である。その前に人は頭を垂れ、感謝と畏れの心を取り戻さねばならない。ひざまずくとは卑屈になることではない。命の源に対して己の小ささを認め、謙虚に生きるという誇り高き姿である。

宮司は、この自然観こそが日本の形であると確信している。八百万の神という考え方は、神を特定の場所や姿に閉じ込めず、山にも川にも木にも風にも、あらゆる存在の中に神性を見いだす精神である。支配ではなく共生、征服ではなく調和。その価値観が、長い歳月をかけて日本人の心の奥深くに静かに染み込んできた。

もし世界が、唯一の正しさだけを振りかざすのではなく、多様な神性を認め合う八百万の視点を持つことができたならば、対立は必ず和らぐ。互いに相手を滅ぼす対象ではなく、むすび合う存在として見ることができるようになる。宮司は、その未来を決して夢物語とは考えていない。なぜなら日本はすでにその精神を体現し、今日まで生き抜いてきたからである。

大和魂とは、ただ強さを誇る心ではない。耐え忍び、相手を思い、調和を重んじ、最後まで人としての品格を失わぬ心である。戦乱の時代を超え、焼け野原となった祖国を再び立ち上がらせ、幾多の災厄から立ち直ってきた力の源は、この大和魂にほかならない。

宮司は、いま生きる日本人が、この魂を便利さや効率の陰に置き去りにしてはならないと強く訴えたい。和を尊ぶ心、むすびを大切にする姿勢、自然にひれ伏す謙虚さ。それらは過去の遺物ではなく、未来を照らす灯である。

世界はいま、力と力が衝突する時代の限界に差しかかっている。次に開かれるべき時代は、和と和が結び合う時代でなければならない。宮司は、日本がその先頭に立つ宿命を帯びていると信じている。武力ではなく精神で、支配ではなくむすびで、恐怖ではなく敬意で世界と向き合う国として、日本は再びその本来の役割を果たす時を迎えている。

和を以て貴しと為す。むすびを尊ぶ。自然に学び、自然に畏れ、自然とともに生きる。この日本の形が世界へと広がる時、国と国、民族と民族、宗教と宗教は、互いを滅ぼす存在ではなく、互いを生かし合う存在へと変わっていく。その道の先にこそ、本当の平和が待っている。

昨今叫ばれる、軽々しいリベラル色の強い”平和”ではない。魂で「和を尊ぶ平和」である。

そして宮司は、その平和への道を、いまここに生きる一人ひとりの日本人の心の中から始めたいと、静かに、しかし確かに願っている。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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