お年玉に宿る日本人のこころ

正月を迎えると、子どもたちは「お年玉」を心待ちにし、大人たちは懐具合を案じながらも、その笑顔を思い浮かべて温かな気持ちになる。だが、この「お年玉」とは本来何を意味し、どのような精神を伝えてきたのだろうか。宮司は、その語源を語るたびに、日本の文化がいかに信仰と暮らしの中で育まれてきたかを思い返す。

お年玉の始まりは、子どもにお金を渡す習慣ではなかった。古来、日本人は正月を「歳神様(としがみさま)」をお迎えする神聖な時として過ごしてきた。歳神様は一年の実りと五穀豊穣を司る神であり、家々では丸餅をお供えし、その餅に歳神様の御魂が宿ると信じられてきた。この丸餅こそが「おとし魂」と呼ばれ、年の初めに授かる御神徳を意味したのである。

つまり、お年玉は本来、「玉のかたちをした神様のお恵み」であった。「玉とはどんな玉なのか」と幼い子が尋ね、周囲の大人が答えに戸惑うという情景は、多くの家庭にあっただろう。それは単に説明が難しいからではなく、目に見えぬものを大切にしてきた日本人特有の精神が、言葉よりも感覚で伝えられてきたからかもしれない。

やがて時代が進み、餅や品物として贈られた「歳たま」は、金子や文具に姿を変えていった。室町時代には既に年の贈答が行われ、「年玉」という言葉が見られるようになる。年玉とはすなわち「年の賜物」。新たな一年の祝福を交換し合う行いは、現代に至るまで形を変えながら生き続けている。

今日では、お年玉といえば子どもが受け取る金銭を指すことが多い。しかし、その背後には「一年の始まりに神から賜る恩恵を分かち合う」という日本人の精神が息づいている。大人が子へ手渡すのは、金額よりもむしろ「祝いの心」であり、それを受け取る子どもは、知らず知らずのうちに日本の文化の一端を継承しているのである。

元旦には祝い膳を整え、家族が揃って新年を迎える。屠蘇を三つ重ねの盃でいただく作法には、「年長者が先に口をつけ、その徳を年少者に分ける」という思想が宿る。盃の順が意味するものは、家族の秩序、年長への敬意、そして新たな一年の無事を願う祈りだ。日本の家庭の正月とは、祈りと作法によって家族が一つになる時間であった。

現代社会は便利になり、合理を求めるあまり、こうした習わしが忘れられつつある。だが、お年玉が単なる「正月の金銭授受」になってしまうとしたら、私たちは何か大切なものを落としてしまうだろう。子どもが手渡される袋の中に、本来こめられていた「神のご加護」「大人の祝福」「家族のつながり」。その本質を伝え続けることこそ、未来へ文化をつなぐ私たちの務めである。

宮司は、正月の空気の中で「お年玉」という言葉を聞くたびに、歳神様の光を思う。かつて丸餅に宿ると信じられた御魂は、今も変わらず、私たちの暮らしの奥底に息づいている。目に見える形は変わっても、受け継ぐべき精神は決して失われてはならない。

お年玉とは、神からの賜りを家族が分かち合う日本人の祈りの形である。令和の世に生きる私たちが、その意味をもう一度見つめ直し、子どもたちに手渡すことができたなら、日本の文化は未来へ力強く継承されていくに違いない。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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