覚悟なき正義は空疎である。国際情勢の激変と日本の背骨

櫻井よしこ氏は、トランプ氏によるベネズエラ急襲と、中国共産党による台湾包囲演習を、同時代に起きた無関係な事象として見るべきではないと指摘している。国際法違反であることを承知の上で、なお国家が力を行使する現実を直視せよという警鐘である。理念だけでは国を守れない時代に、世界はすでに入っているという認識が、その論考の核心にある。
この指摘は、日本にとって決して対岸の火事ではない。台湾を巡る緊張、ロシアと中国の連動、そして米国の即断的な動き。いずれも、力の均衡を崩そうとする側と、それを阻止しようとする側のせめぎ合いに他ならない。善悪の単純な構図で整理できる段階は、すでに過ぎ去っている。
宮司は、ここに現代国際社会の厳しさを見る。国際法は本来、秩序を守るための規範である。しかし、それを守る意思と力を持たぬ国にとって、規範は願望に変わる。理想を掲げること自体が誤りなのではない。理想を現実に支える覚悟と備えを欠くことが、最大の危うさなのである。
中国共産党は、台湾包囲演習を通じて既成事実を積み重ね、周辺国と国際社会の感覚を鈍らせようとしてきた。一方でトランプ氏は、その動きを言葉で非難するのではなく、別の場所で行動を示した。ベネズエラへの急襲は、台湾問題と直接結びつかぬようでいて、力の行使を躊躇しない姿勢を世界に印象づけた。この一点だけでも、中国にとって計算を狂わせる要素となった。
日本が学ぶべきは、この「行動を読む」視点だと考える。発言や建前ではなく、何を実際にしたのか。その積み重ねこそが、国家の意思を雄弁に語る。外交とは言葉の応酬ではなく、意志の現れである。
日本は長らく、正しさを語ることで安全が保たれると信じてきた。しかし現実は、守る覚悟を持つ国だけが、正しさを主張できるという冷厳な構図を示している。台湾有事が日本有事であるという言葉も、覚悟と準備を伴わなければ空疎な標語に堕する。
ここで立ち返るべきは、日本人が培ってきた精神の芯である。大和魂とは、感情的な勇ましさではない。状況を冷静に見極め、逃げず、耐え、次代を見据える姿勢である。理想と現実の間で、何を守り、何を失ってはならないのかを問い続けてきた歴史が、日本にはある。
宮司は、神社が果たす役割を、現実逃避の場とは考えない。祈りとは、目を閉じることではなく、心を整え、現実に向き合う力を養う営みである。外の世界が乱れれば乱れるほど、日本人は内なる軸を確かめねばならない。
世界はすでに覚悟を試す段階に入った。理念を捨てる必要はない。しかし、理念を守るために何が必要かを考え、備える責任から逃げることも許されない。櫻井よしこ氏の論考が突きつけているのは、その一点である。
大和魂を未来につなぐとは、過去を美化することではない。現実を直視し、守る責任を引き受けることに他ならない。その重さを引き受ける覚悟が、日本という国の背骨を形づくる。今、その覚悟が静かに、しかし確実に問われている。
