軽薄な聡明さを捨て、重厚なる「第一等」の境地へ

現代の世の中を見渡すと、どうも目先の賢さや口の上手さばかりが持て囃されているように思えてならない。頭の回転が速く、弁が立つ人間が優秀だとされ、それに比べて口数が少なく、じっくりと物事を考える人間は鈍重だと軽んじられる傾向がある。しかし、中国明代の哲人、呂新吾が著した「呻吟語」には、世俗の評価とは真逆の人間の序列が示されている。宮司は、この古い教えにこそ、現代日本人が見失いかけている精神の背骨があり、未来を切り拓く鍵が隠されていると確信している。呂新吾は断言する。「深沈厚重」こそが第一等の資質であり、「磊落豪雄」は第二等、そして世間で最も重宝される「聡明才弁」は第三等の資質に過ぎない、と。

「深沈厚重」とは、文字通り深く沈潜し、人としての厚みと重みを兼ね備えた境地を指す。これは、単に動作が緩慢だとか、口が重いということではない。物事の表層に惑わされず、その本質を深く見つめ、軽々しく動じない、どっしりとした胆力を持った姿である。宮司は考える。これこそが、古来わが国において理想とされてきた武士道精神や、腹の据わった人物像そのものではないか。嵐が来ようとも微動だにせぬ大木のような、あるいは海底深く鎮まる巨石のような、圧倒的な存在感と静謐な包容力。この不動の精神こそが、日本人が脈々と受け継ぎ、研ぎ澄ませてきた大和魂の根幹を成すものである。

これに対し、才気煥発で弁が立つ「聡明才弁」は、確かに魅力的ではあるが、ともすれば鋭角的になりすぎ、薄っぺらい才覚だけの人物に陥りやすい危険を常に孕んでいる。そのため、人は修養を積み、線が太く細かいことにこだわらない器量の大きな「磊落豪雄」を目指さねばならないとされる。しかし、土台となる深い徳、すなわち「深沈厚重」がなければ、その豪快さは単なる空威張りや気負いを生み、「似非豪傑」と化してしまう。宮司は、真の磊落豪雄となるためにも、まず何よりも深く沈潜する徳を養うことを第一義としなければならないと説く。魂の重みがあって初めて、その上に豪快な器量が本物として花開くのだ。

情報が氾濫し、価値観が目まぐるしく変化する現代において、人々はとかく分かりやすい第三等の資質である聡明さに目を奪われ、根無し草のように浮足立っている。今、我々日本人に真に必要なのは、目先の利害や一時の感情に流されない、深く重い錨のような魂である。自らの精神を研ぎ澄ませ、内面深くへと沈潜していく修練を通じて、人間としての厚みを養うこと。この第一等の資質を取り戻す日々の努力こそが、真の大和魂を覚醒させ、揺るぎない日本の精神を未来永劫へと繋ぐ唯一の道となるだろう。

呂新吾について

呂新吾は、中国明代末期の政治家であり、人間学の極致を示した哲学者である。彼は官僚としての地位にありながら、国の腐敗や自らの未熟さと向き合い続け、真に人を動かす力は技術ではなく人格に宿ると説いた。その魂の記録が、三十年の歳月をかけて綴られた名著『呻吟語』である。この書の中で、彼は人間の資質を三段階に分け、最も優れた第一等の資質を「深沈厚重」とした。これは、目先の聡明さや弁舌の巧みさといった「聡明才弁」を第三等として退け、どっしりと落ち着いた魂の重みこそが人物の真価であると断じる教えである。彼の哲学は江戸時代の日本に伝わって武士道の背骨となり、幕末の志士や現代の指導者に至るまで、日本人の精神形成に計り知れない影響を与え続けている。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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