日本神話を学びなおすことこそ、国の再建の第一歩

日本という国を支えてきたものは、富でも技術でもなく、精神である。神話の時代から連綿と受け継がれてきたこの国の魂を、私たちはどこかに置き忘れてしまったのではないか。古事記が編纂されてからすでに千三百年。その中に記された神々の物語を、いま再び読み直すことは、単なる懐古ではない。国を見失いかけた私たちが、自らの足元を見つめ直すための道しるべとなる。

古事記において最初に現れる神は、天之御中主の神である。その中心に宇宙の理があり、そこから次々と神々が現れる。そして第十六番目が伊邪那岐、第十七番目が伊邪那美、第十八番目に天照大御神が生まれる。天地開闢の秩序の中に「生命の誕生」と「創造の尊厳」が説かれている。この一つひとつを知ることは、単に神話を覚えることではなく、日本人としての根源を学ぶことに他ならない。

かつて戦前の日本では、学校で神話を教えていた。子どもたちは神々の物語を通して、「生まれた国を敬う心」「祖先を大切にする心」を自然に身につけていた。ところが、戦後の教育ではそれが意図的に排除された。日教組の影響下で、国を愛する教育は抑え込まれ、神話は“非科学的”として葬られた。その結果、子どもたちは国の成り立ちを知らず、自らの存在に誇りを持てなくなってしまった。

教育の再生は、学校からではなく、家庭から始まる。親が語らなければ、子どもは祖国の魂を知らぬまま育つ。日本の大地に生まれ、日本語を話し、日本の風に包まれて育った親こそ、子どもに日本を教える責任を負っている。古事記や日本書紀を語り聞かせることは、国語の勉強ではなく、心の教育である。親が神話を学びなおすとき、家庭が神聖な学び舎となる。

戦後の左翼思想は「縦のつながり」を断ち切った。祖父母から孫へ、師から弟子へと続く精神の流れが絶たれた結果、日本人は過去との絆を失った。その代わりに「地球市民」という言葉が流行し、根なき平等と薄っぺらな人権がもてはやされた。しかし、根を忘れた樹は枯れる。私たちが本当に大切にすべきは、世界に向かう前に、自国の歴史と文化に向き合うことではないか。

神話は単なる昔話ではない。そこには、生命の誕生、男女の調和、国づくりの理念がすべて込められている。八俣の大蛇を退治する須佐之男命の勇気、因幡の白兎を助ける大国主命の慈悲。これらの物語は、善悪の判断力と行動の尊さを子どもに伝える最高の教材である。西洋の聖書が欧米の精神の礎であるように、古事記と日本書紀こそが、日本人の魂の書である。

国家の再生は、制度や経済では成し得ない。心の立て直しこそが、真の復興の始まりである。学校に期待するよりも、まず家庭が立ち上がらなければならない。親が語り、子が聞き、孫へと伝わる日本の物語。そこにこそ、国が甦る力が宿る。

日本を再び光ある国にするために、今こそ古事記を手に取り、神々の声に耳を傾けよう。天照大御神の光は、決して消えていない。それを曇らせているのは、私たち自身の怠りである。

日本の未来は、教科書の中ではなく、家庭の食卓から始まる。親が心に灯をともすとき、日本は再び輝きを取り戻す。


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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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