中庸という、最も厳しい道

宮司は、若い頃「中庸」という言葉がどうにも好きになれなかった。どこか主体性を欠き、長いものに巻かれる生き方を正当化するように聞こえたからである。右か左か、白か黒かを明確にせず、曖昧な場所に身を置く姿勢は、妥協であり、小さくまとまる生き方のように思えた。

しかし、安岡正篤師父から繰り返し説かれた中庸の意味は、そのような浅い理解を根底から覆すものであった。易とは無限の中であり、陰と陽はいずれかに固定されるものではなく、相対し、転じ合い、生成変化を続ける。その中心に立つとは、どちらにも与せず、しかし両方を深く引き受けることであると教えられた。

弁証法におけるアウフヘーベンとは、対立を否定することではなく、より高い次元へと止揚することである。その「中す」働きこそが中庸であり、安易な折衷ではない。むしろ、最も厳しい精神の緊張を要求される道である。

「庸」とは常であり、変わらぬ理を指す。その理の上に立ってこそ、変化する世の中を正しく導くことができる。葉室先輩から聞いた大和言葉としての「ち・ゆう・よう」 神の知恵を表す「ち」 結びを意味する「ゆう」 霊妙な有様を示す「よう」 これらが一体となった言葉であると知った時、「中庸」が単なる態度や立場ではなく、天地の働きを映す言葉であることが腑に落ちた。

ここで、どうしても明確にしておかねばならないことがある。近年、「中道」や「改革」を掲げる政治的連合が現れ、あたかもそれが中庸の体現であるかのように語られることがある。しかし、宮司の考える中庸と、そうした政治的中道とは、根本から異なる。

中庸とは、立場の真ん中を取ることではない。対立を避けるための安全圏でもなければ、支持を失わぬための戦略でもない。政治において語られる中道の多くは、状況に応じて立ち位置を調整する技術であり、数の論理や選挙の論理の上に成り立つものである。

一方で、中庸は内面に確立される軸である。是非善悪の根源に遡り、自らの欲や恐れ、保身を徹底して省みなければ到達できない。偏らぬということは、どちらからも批判を受ける位置に立つ覚悟を持つことであり、迎合とは正反対の姿勢である。

最近の中道改革連合が掲げる「中道」は、政治的調整概念であって、倫理的原理ではない。天地自然の理を基礎とする中庸とは、出発点そのものが異なる。そこを混同すれば、「中庸」という言葉は単なる便利な装飾語となり、本来の重みを失ってしまう。

中庸は、時代に迎合しない。世論に阿らない。多数に寄りかからない。だからこそ、時代が混迷すればするほど、その価値は際立つ。政治的中道が情勢によって形を変えるのに対し、中庸は変化のただ中にあっても揺るがぬ尺度である。

宮司は、政治そのものを否定するものではない。制度や仕組みは社会に必要である。しかし、それらを支える精神の根が浅ければ、制度はやがて人を縛り、人を疲弊させる。中庸とは、制度を超えて人を律する内なる規範であり、政党名や標語で代替できるものではない。

令和という混沌の時代に求められているのは、「中道」を名乗ることではなく、中庸に耐えうる人物がどれほど育っているかという一点である。中庸は立場ではない。生き方であり、修養であり、不断の自己省察の道である。

その道は平坦ではない。だが、永久不変の理に身を置こうとする者にとって、中庸こそが最も確かで、最も厳しい道なのである。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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