無私と奉仕の美徳

人間の生き甲斐とは一体何であろうか。仕事に打ち込み、家族を愛し、あるいは趣味に没頭する。人それぞれにその形はあろうが、その根底にあるのは「自分はこの世の中で必要とされている」という切実な実感に他ならない。宮司は、この世には人から必要とされる人間と、残念ながら人の邪魔になってしまう人間がいるという厳しい現実を見つめる。人として生まれ、この国に生き、やがて死んでいく限り、誰もが「必要とされる人」でありたいと願うのは本能に近い情熱である。しかし、真に必要とされる人間になるためには、皮肉にも自らの「自我」を一度捨て去り、自分を無にしなければならない。大和魂を研ぎ澄ます道とは、己の欲を離れ、公(おおやけ)のために尽くす無私の精神を宿すことに他ならないのである。
人から必要とされるための要諦は、その心の持ちようにある。何かを「してあげる」という傲慢な心ではなく、その機会を「させてもらう」という謙虚な感謝こそが、日本人が古来より大切にしてきた精神の極致である。自分という存在を空じ、相手の喜びを自らの喜びとする「無」の境地に達したとき、人は自ずと周囲から求められる不可欠な存在へと昇華していく。宮司は、「あなたは必要な大切な人だ」と言葉をかけ続けることの重みを説く。その慈しみ深い一言が、言霊となって相手に宿り、やがてその人を真に社会に必要な人間へと成長させていくのである。この励まし合いと認め合いの連鎖こそが、混迷する現代において我々が未来へ繋ぐべき魂の灯火である。
幕末の志士、江藤新平は「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするように、そして報いを求めぬよう」との言葉を残した。この簡潔な一節には、日本人が目指すべき道徳の真髄が凝縮されている。他者に依存せず自立し、困っている者には無償の愛を差し伸べる。そして、その行為に対して一切の見返りを期待しない。この徹底した自己規律と献身こそが、大和魂が目指す「清き明き心」の姿である。宮司は、こうした先人の高潔な精神を今の世に蘇らせ、次世代へと語り継ぐことが自らの使命であると念じている。
生きている限り、人は何らかの形で誰かの支えとなり、社会の歯車として機能しなければならない。それは義務ではなく、この世に生を受けた者だけに許された至高の権利である。自分を無にし、奉仕の喜びの中に生き甲斐を見出すとき、孤独や虚無感は消え去り、魂はかつてない輝きを放ち始める。強く、明るく、そして誰かのために。宮司は、一人ひとりが自らの役目を自覚し、この美しい日本を支える「必要な人」として立ち上がることを切に願っている。鳥が空を飛ぶように、人は他者を愛し、慈しむことで初めて、その命の真価を全うすることができるのである。
