道をひらく言葉

西郷南州翁の精神を、今日の指針として

時代が移り変わっても、人が拠って立つべき道は変わらない。天地の理にかなう歩みは、流行や勢力の色に染まらず、静かに、しかし確かに人の背骨を形づくる。西郷南州翁の言行は、その道を示す灯台である。嵐の夜に海図が読めなくなっても、灯りがあるかぎり、船は方角を失わない。

遠島という幾度もの試練の底で詠まれた和歌には、衣の外形よりも心の内にまとう錦を尊ぶ覚悟が宿る。世の評価が剥がれ落ち、名も利も砂のように零れ落ちるとき、人を支えるのは、内に着る一枚の矜持である。どれほど風雨に打たれても色褪せぬ錦は、己の内に織り上げるほかない。

道は天地自然の道である。学びの道が目指すべきは、天の理を敬い、人を愛すること。身を修める要は、己に克つ鍛錬である。刃を研がずして切れ味を誇ることはできない。心も同じだ。私心の錆を落とし、志の芯を立て、歴史の実相に目を凝らし、次代を担う者を育む。その積み重ねが、政を天道の実践へと近づける。

西郷南州翁が示した「敬天愛人」は、標語ではない。空に掲げる旗ではなく、日々の足取りに落とし込む歩法である。天の理が人を等しく包むなら、隣人への眼差しもまた等しく温かであるべきだ。強きにのみ光を当て、弱きに影を落とす歩みは、やがて道を崩す。川の流れが淀みなく下るのは、大小の石を分け隔てなく撫でるからだ。

令和の世は、情報が雨のように降り注ぎ、正邪の見分けが曇りやすい。声の大きさが真実に見え、速さが正しさに見える錯覚が生じる。こうした時代にこそ、遺訓の行間に沈む静かな重みが必要となる。読み返すほどに、胸の奥で鈴が鳴る。鐘の音は遠くまで届くが、耳元の鈴は歩みを正す。

国の行く末が霧に包まれるとき、進路を決めるのは制度だけではない。人の心の姿勢である。志を立て、私心を去り、歴史の陰影を見据え、子弟の背に火を移す。一本の松が風雪に耐えて根を張るように、志は長い年月で太くなる。急いで植えた苗は、嵐に倒れやすい。

宮司が思うに、先人の足跡を辿る旅は、地図の確認である。火山の稜線を仰ぐことは、自然の厳しさと同時に、命の鼓動を胸に刻む行為である。墓前に立つとは、過去に頭を下げることではない。過去から背を押され、現在の一歩を確かめることだ。峠に立てば、来た道と行く道が同時に見える。

今この国に求められるのは、声高な断罪ではなく、静かな実行である。天を仰ぎ、人を愛し、己を鍛える。名を求めず、利に溺れず、誉れに心を奪われない。こうした生き方は、派手な花ではない。だが、冬を越える根である。根が生きていれば、春は必ず来る。

西郷南州翁の言霊は、古色の額縁に収めるためのものではない。今日の足元を照らす行灯である。風が強まるほど、火を守る手が問われる。手のひらに灯る小さな火を、互いに守り合い、次代へと手渡す。その連なりが、国の背骨を静かに支え、未来への道をひらく。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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