あれから、もう15年。祈りを絶やさぬために

今日、令和8年3月11日。宮司は朝、神前に額ずき、長い時間をかけて手を合わせた。あの日のことを思うと、今もなお胸の奥に、言葉では到底表すことのできない重いものが満ちてくる。平成23年3月11日午後2時46分。東日本大震災。あの瞬間、2万人を超える御霊がこの世を去り、15年という歳月が流れた。
15年とは、長い年月のように聞こえる。しかし被災された方々にとって、また家族や愛する人をあの日に失われた方々にとって、それは決して「15年も経った」という言葉では語れぬ歳月であるはずだ。津波に呑まれた故郷の風景、突然に途絶えた電話の声、遺体すら見つからぬまま迎えた幾つもの春。宮司は神職として、この国の死者の魂と向き合い続けてきた。命の重さ、縁の尊さ、見えぬ御霊に向かって手を合わせることの深みというものを、ひとたびも忘れたことがない。あの日に逝かれた方々のことも、宮司の祈りの中に今も変わらず宿っている。
高市早苗首相が福島を訪れ、県主催の追悼式に出席されると聞いた。国のかたちを担う者が、犠牲者の御霊の前に立ち、その死に向き合う。宮司はその姿に、静かな安堵を覚える。追悼とは本来、政治的な行為であってはならない。しかし同時に、国を率いる者が「この国に生きた命の重みを忘れていない」と、身をもって示すことの意味は、決して小さくはない。15年というこの節目に、首相みずからが被災地の土を踏まれることを、宮司は有難く思う。
宮司の脳裏には、あの日のテレビの映像が今もありありと蘇る。黒い波が街をのみ込んでいく光景を、宮司はただ呆然と見つめ続けた。神を祀る者として、宮司は問い続けた。なぜこのような災いが、あの尊い人々を奪ったのか。長く祈り、考え、そして宮司が辿り着いた境地がある。神は人を見捨てたのではない。自然の摂理の中に生かされている人間の命の儚さを、この国土はあの日、根源から問い直させたのだ。大地は揺れ、海は怒り、しかしそれでも残された命は立ち上がった。その立ち上がる力こそが、日本人の御霊の強さだと宮司は信じている。
被災地は変わった。更地だった場所に建物が立ち、かさ上げされた土地に新しい家々が並ぶ。それを「復興」と呼ぶことへの複雑な思いを抱える方々が、今もおられることも宮司は知っている。故郷の海を望む丘に、今も毎朝手を合わせながら、家族を待ち続けるお年寄りの姿が、宮司の心を離れない。復興とは、コンクリートや数字で測られるものではない。失われた縁と記憶と、そして御霊への祈りが、細く、しかし絶えることなく続いていること、それこそが本当の意味での「甦り」ではないかと宮司は思う。
安倍晋三元総理は、震災後のこの国の再建を自らの使命として担われた。あの方は常々「日本を取り戻す」と仰っていたが、その言葉の奥には、単なる経済の話だけではなく、この国の精神の根を絶やさないという深い覚悟があったと、宮司は確信している。安倍元総理はもうおられない。しかし、御霊としてこの国を見守り続けておられると、宮司は神前に向かうたびに感じる。今日という日も、きっとあの方はあの笑顔で、被災地の空の上に立っておられるに違いない。
宮司は今日、神社の境内で、東日本大震災の御霊に向けて祈りを捧げた。名前も知らぬ、顔も見たことのない方々のために、ただ静かに手を合わせた。神道において、死者は神々のもとへ帰り、この世に生きる者を守る存在となる。あの日に逝かれた方々もまた、天上から今の日本を見つめ、残された家族のそばに寄り添い続けておられるはずだ。宮司はその御霊に向かって、一言だけ申し上げた。「あなた方のことを、忘れません」と。
15年という歳月を経て、風化という言葉が各所で聞かれるようになった。あの日を知らない子供たちが成長し、記憶は世代を超えて薄れていく。しかしそれでよいのだ、とは宮司には到底思えない。1人の命が失われることは、その人を愛した無数の縁が断たれることだ。2万の命は、2万通りの人生であり、2万の家族の物語だ。その重みを次の世代に伝えることは、生き残った我々の責任であり、この国の魂を守ることに他ならない。
今日という日に、ただ黙って手を合わせてほしい。場所はどこでもよい。仏壇の前でも、窓の外を向いてでも、心の中だけででも。午後2時46分、あの瞬間に逝かれた御霊への感謝と追悼の祈りを、この国に生きる者として捧げてほしい。それが宮司の、今日の願いだ。あれから15年。祈りを絶やさぬかぎり、御霊はこの国と共にある。
