2000日の山路に、人はいかに磨かれるか

午前2時30分。信州の山里は、まだ宇宙の底に沈んでいる。星だけが冷たく輝き、谷からは湿った夜気が音もなく這い上がってくる。宮司は静かに床を離れ、身支度を整える。手を合わせ、神前に一礼し、愛妻デミさんが前夜のうちに心を込めて用意してくれた弁当を手に、山へと向かう。令和8年3月半ば、この修行は1010日目を超えた。

宮司がこの修行を「自己流」と名付けたのには深い意味がある。比叡山の千日回峰行には厳格な戒律がある。宮司の修行にはそのような外からの縛りはない。あるのはただ1つ、自らが自らに課した誓いだけである。「いつでもやめられる」という甘い誘惑を、1010日間にわたって退け続けてきた事実こそが、この修行の本質である。

真の強さとは何か。刀は炉に入れ、叩き、冷やし、また叩くことでようやく鋼となる。人間もまた同じである。知識は本で得られ、技術は練習で身につく。しかし魂の強さだけは、苦しいと思ったときにもう1歩踏み出すことによってしか鍛えられない。宮司は毎朝その1歩を踏み出す。足が痛い。眠い。寒い。雪が舞う。しかしそれでも山頂を目指す。

佐藤一斎先生は言われた。「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを粛す」と。かつての日本人はこの自律と情を当たり前として日常に生きていた。村の長老は夜明け前に神に手を合わせてから田畑に出た。武士は己の誇りのために剣を磨いた。人は見ていないところでこそ、本当の自分を生きた。宮司の修行は、その日本人の魂の系譜に連なるものである。

修行の途上に、人の情がある。愛妻デミさんは、宮司が山頂で弁当箱を開く姿を思いながら毎朝食材を選び、愛情を詰め込む。ご近所の熊谷さんは毎日欠かさず差し入れを届けてくださる。言葉は少ない。しかしその行為の中に、言葉よりもはるかに深い応援がある。宮司はこれを、日本人が古来より大切にしてきた「結い」の精神として受け取っている。1人の孤独な挑戦が、周囲の人々の祈りを集め、大きな力へと変わっていく。これが日本の力である。

翻って、今の日本を見渡せば、いかに多くの若者が「なんとなく」を生きているか。しかし宮司は問いたい。あなたは今朝、午前2時30分に起きたか。誰も見ていないところで、己の誓いを守ったか。大和魂とは声高に愛国を叫ぶことでもない。誰も見ていない闇の中で、それでも1歩踏み出す静かな意志の中にこそ宿るものである。かつての日本人はそれを知っていた。そして今もなお、信州の山里で85歳の宮司が毎朝それを実践している。

残り990日。宮司は今日も山へ向かう。日本よ、その背中をよく見よ。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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