人生は、ご恩返し

宮司は、生と死の境をさまよう大病を経験した。十八時間にも及ぶ大手術は、医学的に見ても生還が奇跡とされるものであり、同じ手術を受けた患者が誰一人生き残っていないという現実が、その重みを物語っている。担当医が「まだ生きていたのか」と言葉を失ったことは、命というものが理屈や確率を超えた領域にあることを静かに示している。

命は自らの力だけで得たものではない。気がつけばこの世に生を受け、支えられ、守られ、生かされて今日に至っている。その不思議さに向き合ったとき、宮司の胸に自然と浮かび上がった言葉がある。人生は、ご恩返しであるという思いである。

古来より、父母の恩は天より高く海より深いと語り継がれてきた。その言葉は決して比喩ではない。人が生まれ、育ち、歩き出すまでに注がれる愛情と苦労は、数え切れるものではない。迷い、自信を失い、自分自身を情けなく思うような時でさえ、親は子を信じ、祈り、支え続けてきた。その積み重ねがあってこそ、人は踏みとどまり、峠を越え、再び歩み出すことができる。

宮司は、その事実を身をもって知った。命をつなぎ留めたのは医療の力だけではない。見えないところで注がれてきた祈りと願いが、確かに支えとなっていた。その思いに気づいたとき、感謝は観念ではなく、生き方そのものへと変わっていった。

だからこそ、今があるのならば、返していきたいと願うようになった。両親をはじめ、兄弟、友人、知人、伴侶、そして日々を共にする人々へ。支えられてきた時間の分だけ、今度は支える側として生きる。その時間がまだ残されていることを、宮司はありがたく受け止めている。体を動かし、言葉を交わし、感謝を形にできる今この瞬間こそが、何よりの恵みなのである。

この精神を、日本人は長い歴史の中で育んできた。その象徴の一人が、近江聖人と称された中江藤樹である。藤樹は、孝を人としての根幹に据え、父母の恩を天地に等しいものとして捉えた。人の身体の毛一筋に至るまで、父母の千辛万苦によらぬものはないという言葉は、命を受け取るとはどういうことかを厳しく、そして温かく教えている。

藤樹の生涯に語り継がれる母との逸話は、真の愛情とは何かを今に伝えている。病に伏した母を案じて帰郷した藤樹を、母はあえて家に入れなかった。我が子を思う心を胸に押し込み、学ぶ道を貫けと背中で示したその姿は、情に流されない厳しさと、深い慈しみが一つに結ばれたものであった。その厳しさがあったからこそ、藤樹は学問を深め、後に多くの人々を導く存在となった。

藤樹が説いた陽明学の核心は、知行一致にある。知るだけでは足りない。理解したことを日々の生き方に映し出してこそ、学びは血肉となる。この教えは、時代が変わっても色あせることがない。言葉があふれ、情報が交錯する現代においてこそ、何を信じ、どう生きるのかが問われている。

令和の世は、便利さと引き換えに、つながりの実感を失いやすい時代でもある。自分一人で立っているつもりになり、支え合いの記憶が薄れがちになる。しかし、どれほど時代が変わろうとも、人は独りでは生きられない。見える支えと見えない祈りの中で、生かされているという事実は変わらない。

宮司は、今の日本に必要なのは、外に向かって誇る強さではなく、内を静かに整える力だと考えている。受けた恩を思い起こし、それを次へ手渡していく心の姿勢である。それは声高に叫ぶものではなく、日々の選択や振る舞いの中に自然とにじみ出るものであってほしい。

人生を振り返ったとき、どれほど多くを得たかではなく、どれほど感謝を返せたかが問われる。その積み重ねが、人を育て、社会を温め、未来を静かに支えていく。命をいただいた意味を胸に刻み、今日という一日を丁寧に生きる。その先にこそ、日本人が長く大切にしてきた精神の灯が、次の世代へと受け継がれていく道がある。

人生は、ご恩返し。その言葉は、過去への回想ではなく、これからをどう生きるかを指し示す道標なのである。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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