憲法に自衛隊を刻め。安倍元総理が遺した、魂の宿題

宮司は昭和16年の生まれである。その年の暮れ、真珠湾の銃声がこの国の運命を大きく変えた。敗戦ののち、占領軍の手によって新たな憲法が制定された。宮司が物心ついた頃、大人たちはその憲法を「押しつけられたもの」と呼んでいたが、表立って声高に訴える者は多くなかった。あの時代の空気は、そういうものだった。

あれから80年近くが過ぎた。令和8年の春、日本はようやく、その問いに正面から向き合おうとしている。高市早苗首相は施政方針演説において、憲法改正案の国会発議が早期に実現することへの期待を明言した。自民党は単独で衆院議席の3分の2を超え、改憲発議に必要な条件は、形の上では整いつつある。

宮司がこの問題で最も重きを置くのは、9条への自衛隊明記である。高市首相が繰り返し述べているように、命を懸けて任務に就く自衛隊員たちが、憲法上の位置づけが曖昧なまま「解釈」の枠の中で活動し続けているという現実は、宮司には何十年も前から耐えがたい矛盾に映ってきた。宮司はかつて大阪府警の警察官として、幾度も危険な現場に立ってきた。命を賭けて国民を守る者が、国家の最高法規に認められていないとはどういうことか。そのことを宮司は、骨の髄から理解している。

安倍晋三元総理もまた、その矛盾の解消を生涯の宿題として胸に抱き続けた。安倍先生は9条1項と2項を維持したまま、新たに「9条の2」を設けて自衛隊の保持を明記する案を主導した。これは軍事大国化への野望ではない。命を捧げる覚悟で任務に就く人々に、国家が正式にその存在を認め、誇りを与えるための、極めて真摯な取り組みである。先生が凶弾に倒れたとき、その宿題はまだ果たされていなかった。宮司はその事実を思うたびに、胸が締め付けられる。

宮司は反対論を頭ごなしに否定しない。改憲への警戒は、民主主義の健全な緊張感として尊重されるべきものだ。戦争への恐怖は、かつてこの国が歩んだ痛苦の歴史から生まれた感情であり、軽んじてよいものではない。しかし同時に問いたい。命を捧げて国民を守ろうとする人々が、法的に宙吊りにされたままでよいのか。国を守る組織が、その国の最高法規に記されることなく活動し続けることが、本当に平和と言えるのかと。

今国会において、憲法審査会での議論が加速しつつある。参院議員の任期満了は28年夏であり、与党内には「参院選前に国民投票を」という声も聞こえてくる。時間は限られている。この窓が開いているうちに、国民的な議論を深め、国民自身がその問いに向き合う機会を得ることが、今の日本に求められていることだと宮司は思う。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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