魂のふるさとに立ち返る

宮司は、深い悲しみや絶望に触れる時こそ、人の精神が本来のふるさとに還る瞬間だと考える。誰もが人生の途上で「神などいない」と言い切りたくなるほどの試練を味わう。最愛の人を失い、大切な夢を砕かれ、命の意味さえ見失う時がある。しかし、その言葉の裏には、計り知れないほど純粋な心の叫びが隠されている。

宮司は、その痛みを抱きしめ、代わりに涙を流す存在でありたいと思う。安倍神像神社に参詣に来られた方に、苦しみを「長野に捨てて帰りなさい」と伝えるのは、悲しみを否定するのではなく、自然の懐に委ねて心を休めてほしいからだ。人は弱いからこそ傷つき、純粋だからこそ堕ち込む。だからこそ、肩の力を抜いてもよいのだと伝えたい。

恐怖や不安に震える時も、宮司はその感情を抱きしめる。逃げても追ってくる心の影を、自然の懐に託すことで、初めて静けさが訪れる。人の心は決して強靭ではない。軋み、揺れ、壊れそうになるものだ。それでも「生かされている」という感謝の思いが芽生えれば、また明るい光を受けて歩き出せる。

宮司は、こうした祈りを通じて、日本人が古来より大切にしてきた精神を呼び覚まそうとしている。それは、天地の恵みに感謝し、万物の命に敬意を払う心である。自然の循環に身を委ね、自らもその一部として生かされていることを受け容れる時、人は「清くやさしい心」に立ち返ることができる。

「今日という命は限りなき恩」と感謝し、ほほえむ。その姿勢こそ、日本人の精神の根幹であり、魂のふるさとに帰る道である。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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