武士道を貫く—燈を頼み、暗夜を行く—
櫻は、散り際にこそ、その真の美しさを見せる。
私もまた、武士道の心を胸に、大和魂を抱いて、一陣の花吹雪のように潔く生き抜きたいと願う。
座学だけで得られるものに、真の叡智はない。
私は、行動と実践を通じて学ぶ「陽明学」の精神を体現し「知行合一」の道をまっすぐに歩み続けたい。
葉隠に生き、葉隠に死す。それが悔いなき生涯であると、心に深く誓っている。
『葉隠』が教えるのは、損得を超えた「道」の精神である。
私は、誰かに認められるためでもなく、地位や名誉のためでもない。
ただ、己が信じた道を、己自身の手で照らし続けたい。
それは、まるで一燈を頼りに暗夜を歩む旅のようなものだ。
たとえ周囲がいかに暗くとも、憂うことはない。
道を照らす一燈さえあれば、人は必ず前へ進める。
「明日ありと思う心の仇桜」
桜が夜半の嵐で一夜にして散るように、人の命もまた儚い。
だからこそ、今を生きる覚悟を持たねばならない。
武士道とは、すなわち「死ぬことと見つけたり」。
生と死の選択を迫られるとき、まず「死」を選べばよい。
それ以上でも、それ以下でもない。
誤解してはならない。
これは「死に急げ」という教えではない。
むしろ、命を燃やし、今を真剣に生きろという、大和魂の叫びなのである。
人生において、損得や恐れに心を惑わされず、己の信じた道を貫き通す。
それが、櫻のように潔く、美しく生きる—武士道であり、大和魂の真髄である。
