全国勝手神社総本社が再建復興

奈良県吉野郡吉野町、吉野山ー
この地に鎮座する延喜式内社、全国勝手神社総本社が、今年十月、
ついに再建復興を果たし、竣工式を迎える運びとなった。

二十年という歳月。
焼失の悲しみから幾星霜を越え、いま再びこの聖なる地に神殿が蘇ったのだ。
宮司としてこの日を迎えられたこと、そして再建に際し全国津々浦々から賜った篤いご支援に、
あらためて心より深く感謝申し上げたい。

ああ、なんという奇跡であろう。
今日、再建された勝手神社の境内に静かに立つと、
頭上より清らかな風が吹き抜け、天より神の言霊が降りてくるのをはっきりと感じた。

その声は確かにこう告げたのである。

「至誠・明白であれ」

なぜ、この言葉が今この時に降り注いだのか。
思えば、勝手神社の御祭神は
「正勝吾勝勝速日 天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひ あめのおしほみみのみこと)」。
この神は、正しさに勝り、誠の速さに勝り、神意に最も近き存在とされる。

この神の声にほかなるまい。
きっと、こう諭しておられるのだ。

「誠を貫き、至誠をもって人と事にあたりなさい。
曖昧なままでは動かぬ。
心を明らかにし、自らを切磋琢磨し続けなさい」と。

境内にそびえる袖振山の頂から、まるで瑞々しい光とともに「誠明」の精神が降りてきた。
それは、ただの幻覚などではない。
確かに神の御心がこの地に注がれた瞬間だった。

至誠とは、己を偽らず、真心を尽くすこと。
明白とは、己の行いを隠すことなく、明るく正直であること。
この二つが重なり合って、初めて人は神に近づくのであろう。

二十年。
この長き闇夜の中、再建を志し、信じ、支え続けてくださった方々の祈りもまた、
きっと神々の耳に届いていたに違いない。
そして今日、再び甦った勝手神社は、新たな使命を与えられたのだ。

それは単なる再建ではない。
この国に、誠と明白の道を示すために。
袖振山の麓から、吉野の空へ。
いや、全国へ。
さらには天へと続く道を、清く強く照らし出すために。

私は、宮司として、あらためて誓う。
これからも「至誠・明白」を心に刻み、神と人との懸け橋として、己を鍛え続けていくことを。

再建なった勝手神社の社殿は、今まさに天光に包まれ、静かに、しかし確かに、永遠へと歩み出している。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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