自分を見失わずに生きる道と、大和魂をつなぐ使命

熊沢蕃山の言葉に触れる時、日本人の精神がどれほど深く、静かで、揺るぎないものであったかを思い知らされる。「我は我、人は人にてよく候」。この一句は、人の評価や世間の声に振り回されやすい現代人に、鋭い一喝を与えているように響く。
宮司は、この言葉の奥に、個が個として立つための厳しい教えと、周囲への過剰な同調を戒める警告を読み取っている。他人の真似をするのではなく、自分の歩むべき道を守り抜くこと。世間の目に怯えて己を見失うのではなく、己の心に正直であること。日本人が古来より大切にしてきた精神の柱が、ここに示されている。
蕃山はさらに、天下の財や地位は人が所有できるものではなく、巡り巡って誰かの手に渡るものであると説いた。今自分の手にあるものも、明日には他人のものになる。それは自然の理であり、執着すべきではない。生まれた時に何も持たず、死ぬ時にも何も持っていけない。この事実を忘れ、財を積み、名声を求め、子孫に大量の財産を残そうと必死になる姿は、人の欲が生み出す迷いにほかならない。
宮司は思う。財や地位の多寡に心を縛られる限り、人は自由にはなれない。日本人が大切にしてきたのは、形ではなく心であった。人の価値を測るのは、外側の飾りではなく、内に宿る精神の強さと清らかさである。それこそが大和魂であり、時代がどれほど変わろうと揺らぐことのない日本の独自性である。
憂きことのなおこの上につもれかしと詠んだ歌にも、蕃山の烈しい決意が込められている。苦難よ、さらに降りかかってこい。己の力を試す好機である。逆境に屈するのではなく、逆境を己の鍛錬の場に変える精神がそこにある。日本人の歴史を振り返れば、この精神がどれほどの時代を支え、人々を導いてきたか、枚挙にいとまがない。
宮司は、この精神こそ次の世代に確かに継承すべきものだと考えている。大和魂は、力で押しつけるものでもなければ、声高に誇示するものでもない。静かに、しかし確固として人の内側に息づき、判断を導き、道を正す灯である。世間の声が大きく、人と比べ、自分を失いやすい時代だからこそ、大和魂の静かな光が必要になる。
今の日本は情報が溢れ、価値観が乱れ、他人と比べることが日常となっている。外側に目を奪われるほど、内側は弱っていく。人の評価や噂に揺れ動き、自分の軸を保てなくなる。そんな時代に蕃山の言葉を読むと、心を正す鋭さと優しさが胸に刺さる。人は人、自分は自分。世間は助けてはくれないのだから、自分の道を歩む覚悟を持てという教えが響いてくる。
宮司は願っている。
子や孫の世代が、外界に振り回され続けるのではなく、自分の芯を持って生きられるように。
大和魂という、日本人が長い歴史の中で磨き続けてきた精神の宝を受け継ぎ、次の時代の光として育てていけるように。
大切なのは、財を残すことではない。
大切なのは、心を残すことである。
そしてその心は、困難を恐れず、比較を超え、己を磨き続ける静かな強さを持っている。
蕃山の語録は、過去に書かれたものではなく、今を生きる日本人の魂に問いかける書である。
自分とは何か。
何を守るべきか。
何を次の世代に渡すべきか。
宮司は、この問いに答えるために必要なのは、他人や世間を気にする生き方ではなく、己の心を深め、大和魂を胸に据える生き方であると確信している。
熊沢蕃山について
熊沢蕃山は、江戸前期に活躍した陽明学者であり、備前岡山藩の政治顧問として実務に携わった人物である。
一六一九年に生まれ、九十歳近くまで学問と政治に尽くし、特に「知行合一」を重んじる陽明学の精神をもって民政改革に挑んだ。
口先の学問ではなく、学んだことを必ず実践し、人々の生活をより良くすることを信念とした。
為政者の奢りを戒め、財や地位への執着を断ち切り、天と人とが調和してこそ世は治まると説いた思想家であった。
蕃山の言葉は四百年を経た今日もなお瑞々しく、現代人にも深い示唆を与え続けている。
己を磨き、世に調和をもたらす生き方を示したその精神は、日本の思想史に静かにして確かな光を放っている。
