彌榮(いやさか)の一声が呼び覚ます大和魂

宴において発せられる最初の言葉には、その国の精神の根が映る。宮司は長く此のことを考え続けてきた。現代の日本では、ほとんどの場で「乾杯」という言葉が疑いもなく使われる。しかしその音の軽さと字の意味を静かに見つめたとき、心の奥で小さな違和感が積み重なっていった。杯を空にすることを良しとする感覚は、日本人が古来育んできた、満ち足りたものを分かち合う作法とはどこか異なる。日本の酒は奪い合うものではなく、注ぎ合い、交わし合い、互いの命と縁を確かめ合うためのものだった。

宮司が大切にしてきた言葉は「彌榮」である。この二文字に込められた意味は、単なる祝杯の掛け声ではない。共に栄えることを願う心、今ここに集ったすべての人の幸せと繁栄を祈る息吹、そのすべてがこの短い言葉に凝縮されている。ひとりだけが満たされることを良しとせず、相手の盃に心を配り、場にいる全員の先行きに光を差し出すところに、日本人が受け継いできた叡智がある。

酒の席は、単なる娯楽の場ではない。人と人とが同じ時を分かち合い、心の距離を縮め、縁を結び直す神聖な場でもある。宮司はそう考えてきた。だからこそ、その始まりに放たれる一声が、自己中心ではなく、共生と祝福に満ちていることを大切にしたいと願ってきた。「彌榮」とは、己の繁栄を誇示する言葉ではなく、隣人の幸せを自らの喜びとして受け取る言葉である。ここに日本人の度量と品格が宿る。

日本の文化は、形の華やかさよりも、内に秘めた心の在りようを尊ぶ文化である。派手な言葉よりも、深く静かな祈りが人の生き方を支えてきた。宮司の胸にあるのは、その日本人の本質を、酒の一杯にも宿らせたいとの思いである。酒は人を酔わせるだけのものではない。人の心をほどき、人と人の間に温もりを取り戻す媒介である。その媒介に添えられる言葉が、分断ではなく共栄を示すものであってほしい。

古来、日本は数多の困難を乗り越えてきた。疫病、飢饉、戦火、災害、どの時代にも試練は尽きなかった。しかしそのたびに、人々は互いに助け合い、祈り合い、支え合いながら立ち上がってきた。その根底に流れていたのは、共に生き、共に栄えるという精神である。その精神こそが大和魂の核心であり、「彌榮」という言葉に脈々と息づいている。

宮司は、宴の場でこの言葉が甦ることを静かに願っている。それは過去への回帰ではない。形だけの復古でもない。未来へと伸びる新しい日本の姿を、最も素朴な一声から育て直す試みである。祖国の安寧を願い、天皇陛下の弥栄を祈り、天照大神の御神威に感謝する心は、決して古びることのない日本の根幹である。その祈りを胸に秘めながら、杯を掲げ、「彌榮」と発する瞬間、人は己の小さな世界を越え、民族の長い時間と静かにつながる。

言葉は思想であり、生き方である。どの言葉を選ぶかは、どの精神を自らの中に置くかという選択でもある。目の前の便利さや流行に流されるのではなく、心の奥に何を宿すのかを問い直すとき、日本人は再び自らの誇りを取り戻していく。宮司はそう信じて歩んできた。酒の席の一声が変わるだけで、人の意識は少しずつ変わる。小さな変化の積み重ねが、やがて国の気風を形づくる。

彌榮とは、声高な主張ではない。静かな祈りの言葉であり、互いの未来を信じ合う合図である。そこには排他も憎しみもない。ただ、共に生き抜こうとする日本人の意志がある。その意志が次の世代へと手渡されるとき、大和魂は形を変えながらも確かに生き続ける。

宴の始まりに放たれる一声から、国の行方は静かに動き出す。宮司が願うのは、杯の縁に映る一瞬の光の中に、日本人が失いかけていた品格と祈りの心が再び宿ることである。そしてその小さな響きが、やがて日本再生の大きなうねりへとつながっていくことを、今も変わらず願い続けている。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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